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| 2005年08月10日(水) |
泳ぎをアフォードするもの |
昨日は、夜半ごろになってようやくあとがき脱稿。そのときは夜に書いたラブレターは、翌日読み返すと送れなくなるからいま送ってしまおう、などと思っていたのだが、ラブレター(書いたことないですが)とあとがきは違うということで、次の日にみなおして送ることにする。
が、、、、朝みなおしたらやっぱり送れない内容でしたorz。で、昼頃メール。
さて、心理テスト(主に投影法)についていろいろ議論があるみたいである。そのなかに投影法は精神のX線写真ではないというものがある。
X線写真としてとらえると、投影法はいろいろ問題がある。というのも、このメタファーでは、心というのは観察にさきだってあることになっている。それを正確にうつしとることができるのが投影法ということになる。でも、投影法にかぎらず、心理テスト一般において、心とはそのようなものではないだろう。
私は、学生に説明するとき「泳ぎに自信がない人を、プールに放り込むようなもの」と言っている。泳げる人は、水がアフォードしてくるものにのってなんとか泳いでもどってくることができる。泳げない人は、水がアフォードしてくるものをつかめないので、手足をばたつかせておぼれていく。その溺れるありさまは、おそらく個々にユニークなものだろう。
実生活で、その人たちは、まさに大海原で溺れている人たちだ。そのような「溺れ」の過程をみるのが投影法だと思う。この人がどれくらい泳げないのか、そしてそれはなぜなのかを知るためには、擬似的に、安全なプールで、再び溺れかけてもらわなければしょうがない。
もちろん、そこそこ泳げる人ならば、自分の泳ぎについての内省報告ですむかもしれない。また、なぜうまく泳げないのかそれほどわからなくても、とりあえず私たちと一緒に泳いでいるうちに、自然とうまく泳げるようになるだろうし、溺れそうな時はこちらにも察しがつく。
その点、私たちを訪ねてくるのは、かなりのカナヅチと考えて間違いない。内省報告では、そもそもこの人たちの溺れの過程にせまれない。そして、一緒に泳いでいるうちに、ありえないところでいきなり溺れはじめ、あっというまに沈んでしまったり、こちらに必死で抱きついてきて、自分まで溺れてしまうことがある。
さて、プールにつきおとされたら誰でも混乱する。だから、このテスターだったら本当に危なくなったら助けてくれるという信頼がなければならない。危なくなった時に助けてもらえそうになければ、テスティーは水に入ろうとしないかもしれない。
重要なことは、泳げるようになるには、まずは溺れることをおそれずにバタバタしてみるしかないということで、それには勇気がいるのだ。まず、自分がどれくらい泳げないのかを他人に示すのは心理的にも肉体的にもしんどいものである。プールにしても、跳び箱にしても、逆上がりにしても、だいたい失敗して痛い目にあうことがわかっているのに、あえてやってみようとするときはどういう時か考えてみるとよい。最初の失敗をしたときに「この人に教えてもらったらできるようになるかも」と思うから、人は二度三度と失敗するのがわかってるのにチャレンジするのではないだろうか。その一回目の失敗がテスト場面ということだ。投影法が「いじわるでしんどいもの」であるのと同時に、とても治療的であるというのはそういう意味だと思う。
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