I create you to control me
DiaryINDEX|past|will
| 2005年04月19日(火) |
新奇情報をめぐる新奇でない情報 |
細馬さんと「あ」と英語の"oh"が違うというような話でもりあがる。会話分析の世界では、ヘリテジという人の仕事が有名で、僕も昔、この人の論文を引用したことがあるのでよく知っている。人は「あ」という言葉を、なにか会話の進行上、新奇な情報を発見したことを聞き手に表示するマーカーとして使うというような話である。細馬さんによれば、新奇情報の発見を表示するという知見は強力なのだが、日本における「あ」と"oh"は同列に扱えないという。いわく前者は、何を発見したかについて、「あ」の発話者に説明責任が強く求められるが、後者にはそれほど求められないというようなことである。 そこから話は発展して「あ、はい」はどうか?ということになる。 そういえば、高校時代、部活動で3年生の先輩からなにかを教えてもらうとき、僕らの学年は緊張感からか「あ、はい」ということが多かった。それがしばらく続いて、ある時先輩が怒って「お前ら、返事はハイでいいの。なんであをつけんの?。なんか気になるからやめて」と言いだしたのを思い出した。 このときの「あ」は、部活動のような上下関係が厳しい場にあって、しかも正確な伝達が求められるコーチング場面にあって、なにかすぐには理解できないような情報の存在を感じさせつつ、しかし「はい」という、指示の実行を約束する言葉によって、新奇情報についての説明責任がたくみに回避され、秘匿されてしまうからではないだろうか。上級生としては「なんか文句があるんだったら、ちゃんといえ」ということになるわけだ。 もちろん否定的な効果ばかりではない。カウンセリング場面での「あっ、はい」という受け答えは、「はい」というのに比べて、先行するクライエントの人生についての話題を、一般論として理解可能な話題としてではなく、語り手の固有な人生のなかでおこった唯一性をともなう出来事としてきくことをハイライトすることもある。
ところで昨晩、細馬さんのラジオをきいていて、その話を一回きいていたのだが、今日、お昼に研究室にいったらまっさきにその話がはじまった。僕も、ラジオを聞きましたというのもなんとなくあれなので黙って会話に参加した。 昨晩と同じ声で、まったく同じような出だしで、まったく同じ内容の話が、しかし、まったく新しい話題として語られるという体験をした。新奇情報をめぐる会話が、新奇情報ではないにもかかわらず、新奇情報として扱うというのは、これはこれでまた面白い。
INDEX|past|will
hideaki
|