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2004年11月02日(火) 昔からあったんだか、なかったんだか

12月に企画している臨床心理士のワークショップのポスターをつくった。

以下は白黒バージョン。

できるだけ多くの方に来ていただいて質的研究のよさを感じてほしいところでもあり、そう簡単に質的研究が受容されるのも考えものでもあり。ナラティブも同じ。

臨床家にナラティブといえば、まずそれを探求することに反対する人はいない。そして、次にこのように言う。「そうよね、私たちが今までやってきたのはナラティブなのよ」。

これは半分違っていて、半分当たっている。

違っているというのは、上記のように言われる場合のナラティブとは単にクライエントの語りを指しているからである。そうではなくて、ナラティブとは従来のセラピスト、クライエントの関係を大きくかえてしまうような思想を内包したものであって、単なる技法の問題ではない。

関係がどう変わるかというと、クライエントがセラピストに効果のほどについてコメントしてもよくなったということだ。セラピストは昔は権威をバックにして解釈を告げればクライエントはなおったのであるが、現代のクライエントはそんなことではなおらない。だから、セラピストも説明責任を求められるわけである。

一方で、当たっているというのは、従来からのセラピーであれ、ナラティブであれ、セラピストは言葉をつかいながら、言葉そのものがその人に正しく伝わることを志向しているわけではない。言い換えれば、言葉を薬のように処方しているわけではない。そうではなくて、言葉を相手を動かす手段として使っているのである。だから、セラピストがある語りをクライエントにしたからといって、別にその内容がよかったからクライエントはなおるのではなく、その語りを媒介としておこった2人の人間関係の変化が、クライエントの外的な行動の変化に結びついているのである。このように言葉を扱いながら、身体にアプローチしている点でナラティブは従来のセラピーと同じだし、ナラティブがむしろ劣っている点とさえ言える。



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