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2004年10月11日(月) day3

学会3日目。もう、そろそろ疲れたぞ。

今回はやけにポスター会場をうろうろしたような気がする。
あんまりいきたいシンポがなかったからというのもある。しかし、ポスターセッションは立って話を聞くからしんどい(「そんなおじいちゃんみたいなこと言うな!!」と自分ギレ)。

そういえば、ひさびさに学会でLearning ScienceのSさんとあって話。「質的心理学会」の動向など聞かれる。僕はきわめてperiphery(むしろ志向としてはmarginal)な存在のつもりでいたのだが、世間的にはもはや一味であるらしい(いや、ずっと前からわかってるのだけども)。

質だの量だのと言ってる場合ではない。物事をよくみる(あるいは体験する)ってことが大事なのであって、それをいかに小手先で表現するかということが問題ではないのだよね。

当たり前のことのようだけど、なかなか論文書くことにいっぱいいっぱいになると考えられなくなる。大岩先生の、研究労働と、研究活動の違いの話が思い出される。

Sさんと意見があったのは、2日目のtoma先生のセッションが一番よかったということ。質的研究で大事なことは、聞き手もまた、ある時間的プロセスのなかで、その研究を媒介として、現象を追体験するということなのかも。

いつもSさんとしゃべると、自分がやっていることがなんとスケール小さいことかとプチ自己嫌悪におちいる。がんばろ。

ところで、昨日の「問題」について考えるシンポについて。

質的研究が教育実践のリアリティに迫りやすいのはうなづけるし、そこでは「わかっているつもりでわかっていない」ことがしばしばであることもわかるのだけれども、そうするとその現場にあって、はたして当の子どもや生徒、対象となっている人はどうだったのかという疑問もちょっと持ってしまった。

実践活動の大目標は、やっぱり子ども(あるいは受益者)にとってどんなよいことをするのかということなんだとしたら、「わかっているつもりでわかっていない」ということが、そういう人たちにとっての悪影響にもつながていくことは、やっぱり良くないことに入るんじゃないかと思うよ。

なにも実践者と研究者、ボランティア同士、教師同士が分かりあえてなかったということがあっても、その両者の関係にはさしたる危機が訪れるわけではないけれど(訪れることもあるけれど、昨日書いたように)、対象となっている人のことをわかっているつもりで、皆わかっていないということがあってはもともこもないよね。


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hideaki

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