I create you to control me
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学会で「質的研究」「質的研究」といいすぎたせいか、最近「質的」という言葉に食傷気味である。意味飽和現象とでもいうのだろうか、「質的」という言葉が意味することがよくわからなくなってきた。
シツテキシツテキシツテキ。まるでジュモンである。うっかりすると、シツテキなのか、テキシツなのか、ツテキシなのかわからなくなる。あやや顔負けである。
どこかで言われていることであるが、質的/量的という二分法によって見えてくる事もあるが、それによって見えなくなることもある。質的、質的いいすぎると、逆に目標が見えにくくなるように思えることもある。目的はなんなのかということもその1つ。要は、おもしろい研究すりゃあいいんだ。
2分法は、我々の思考をわかりやすく整理することには長けているが、それ自体、ひとつのツールである。ある高名なブラジルの教育学者は「アメリカ人はなんでもかんでも2分法だ」と言っておられたらしい。2分法をもちこみ、両者のどこに差異があるのかと議論しはじめることで、どんどん議論が矮小化されてくることを嫌ったのだ。
質でも、量でもみなケースであることにかわりない。そのケースをいくつ集められるのかということに差はあっても、その都度、自分が見た面白いものをサポートするために使えるものはつかい、使えないものはそれなりに扱えばいいんじゃないかな。
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hideaki
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