2007年01月20日(土) |
マリー・アントワネット |
監督・脚本 ソフィア・コッポラ 主演 キルスティン・ダンスト
下馬評での評判は確かに良くなく。 それでも私はこの「マリー・アントワネット」を楽しく観れるに違いないと思っていたのだけれど…
冒頭のあざとい、何だかどこかで観た事あるようなオープニングから密かに 「あー…ソフィアやっちゃったな…」と落胆してしまった。
期待し過ぎていたせいもあるのかもしれない。 それだけにちっとも面白いと思えない自分にも何だか落胆してしまった。 「こんなはずではなかったのに」
『教科書に載ってるマリー・アントワネットを描く気はなかった。』 『徹底したマリーの目線で描きたかった』
それって逃げ口上じゃないのかな?
マリー・アントワネットという題材はとても面白いものなのに。 何だこれは映画じゃなくてPVです。 マリー・アントワネットという人物が何故人々の心を惹きつけるのかといえば美しくて若い浪費家の女王様だったからだけではないはず。 そこにはやはりフランス宮廷での人々の関わり、フランス革命と民衆、そして断頭台までの彼女の人生のドラマの紆余曲折があったから。 宮廷での贅沢三昧が描きたかったのならばそこだけ撮ればよかったのに。 マリーと政治の関わりを一切描かないでおいてラスト近くのあのバルコニーの場面を挿入したところで何の意味が?まったくマリーの気持ちに同情できない。
またマリー以外の登場人物達の描き方が全くもって投げやり、希薄過ぎる。 デュ・バリー夫人とルイ15世の関係や挨拶のくだりはあれだけではさっぱりわからないではないか。 デュ・バリー夫人はとても面白いキャラクターなのに単なるルイ15世の愛人としてさっさとフェイドアウト。 愛人のフェルゼンにしてもそう。ただの間男でちっとも魅力的に描かれていない。こちらもマリーが突然ルイ16世への愛に目覚めていつの間にかフェイドアウト。 なんじゃそら。 あれだけマリーとの肉体関係を拒んでいたルイ16世もマリー兄の耳打ちであっさり実行に移してるし。子供騙しもいいとこだ。
脚本がなんといっても甘すぎる。 ちっとも練られていない。 これでは単なる雰囲気映画にならざるを得ない。
本物のヴェルサイユ宮殿でのロケもいくつかのシーンは確かに美しくて「あ、これが撮りたかったんだろうね」って思わせる場面はいくつかあった。 (花火、オペラ、朝日を見るシーン、プチ・トリアノンなど) しかしそれ以外の何気無い場面ではせっかくの良いロケーションも無駄と思える…というかロケーションに頼りすぎてたのかしら?カメラワークとか画面構成が何だかズボラに思えた。勿体無い。時間無かったのか?
話題になっていたサウンドトラック。確かに面白くて洒落た選曲だったけれどもインもアウトも適当に突っ込んでてデリカシーがなかった。
そんな感じで全体的に何だか雑な作りな気がした。 映画は撮影よりも終わった後の編集作業が一番大事って岩井俊二が言ってたが、この作品に関して言えば「ソフィアちゃんと自分で編集したの?」って感じ。 ちゃんとじっくり腰を据えて編集すればもっともっと面白い作品になってたと思うんだけど。
「ヴァージン・スーサイズ」も「ロスト・イン・トランスレーション」も雰囲気映画に終わらないちゃんとした面白い作品だと思う。好きだ。 だからこそこの「マリー・アントワネット」の空虚さが残念でたまらない。
「わかってもらえる人にだけわかってもらえればいいの」
なんて言わないでほしいよ、ソフィア。 もっとちゃんとやろうよ。もっと面白い映画撮ってよ。
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