N響聴き初め - 2006年01月30日(月) 私にとって今年初となるN響の定期公演に行ってきました。 去年までライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターをしていた (このオーケストラは世界最古で、常任指揮者とか音楽監督という言い方はせず 「カペルマイスター」(楽長)という呼びかたをするのだ) で、N響の名誉指揮者でもあるヘルベルト・ブロムシュテットの指揮。 曲はブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」と 最近「のだめ…」で一躍有名になった「交響曲第1番」。 堂々たるプログラムだ。 そしてヴァイオリンは、 フランク・ペーター・ツィンマーマンとともに 現代ドイツ最高のヴァイオリニストの双璧をなす クリスティアン・テツラフ。 これを行かずに何に行く、って感じのコンサートです。 果たして期待通りでした。 ものすごく期待してたから、期待通りってことはすんごい。 こういうのは嬉しい。 しかも自由席だから1500円だ!!映画見るより安いぞ! つくづくブロムシュテットは巨匠だぁ、と心の底から感心し、 感動しました。 ヴァイオリン協奏曲の熱い演奏、 (テツラフの異常なくらい正確・精密で、それをベースに潔癖、厳しくも真摯な素晴らしいヴァイオリン) 交響曲のあたまの音からして、そこらへんの演奏とはワケの違う (超一流の指揮者とオーケストラの組み合わせでの音を念頭においても) 何処から来て何処へ行くのか、が瞬時に感得できる、 若き日の屈折した情熱と、「交響曲」を書く、という重圧に悩まされるブラームスの人間そのものがそこに居ました。 コンサートマスターに、あのドレスデン・シュターツカペレで長らく弾いていた名コンマス、ペーター・ミリングがいたのも大きかった。 N響の優秀で厚みのある弦楽器群が ひときわ奥行きのある透明感のある音になっていたのは彼のおかげだと思う。 数日前に、団員の方から 「マエストロ・ブロムシュテットにうんざりするほどしぼられている」と聞き、 「ほとんど1小節単位で止められてナカナカ先に進まない、って状況じゃ?」 って言ったら 「そんな感じだね。キビシ〜〜よ。」 実は私が音大に通っていた時、 この名匠がオーケストラの公開授業を振りに来てくれたことがあって その時取りあげた曲がブラームスの「第3交響曲」だったのですが 確か2時間くらいかけて10小節か20小節くらいしかしか進まなかった記憶が…。 (少し記憶が誇張されている可能性もあるけど) 最初の和音をどんな音で鳴らすかの考証、 フレーズの始めの音をどう始め、終わりの音をどう落ち着かせ、その間の音たちをどうきれいに歌わせるか、 リズムをいかに正確に扱うか(この曲は冒頭から変則的なリズムが多い) メロディー以外の弦楽器の刻み(シャカシャカと伴奏しているパート)を正確に、バランスよく処理するか、 適切な音色の確保、 など、ほとんど偏執狂か?と思えるくらいのしつこさでリハーサルをしていた。 今思いだすと、見ている私もそれを「うんざり」していたのだけど、 それが、プロフェッショナルがやる音楽の厳しさ。 そこから初めて表面だけの美しさを越えた「何か」が、 本当の音楽が生まれるのだ。 今の自分にはそれがわかる。 多分、デュトワなんかも違った感じで相当厳しいのだろうと思うが それにしてもオーケストラの方々、ご苦労様でした。 それが最高に素晴らしい演奏につながったのだと思いますよ。拍手! そうして真に迫ったブラームスを聴くことができた。感謝。 ただ、惜しむらくはただ一点。 前にも書いたことがあるけど、ベテラン首席オーボエの方。 もう誰がどう聴いたって、どう考えたって限界。 なんとか吹きこぼしはなかったけど…。 どうしていつまでも首席のポジションに座っていられるのだろうか? いっぱいいっぱいのオーボエに、 周囲の木管楽器の方々も抑えて吹かねばならぬ様子がありありと見えました。 ...
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