ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

「やる」と「聴く」 - 2005年06月16日(木)




音大目指してピアノを習っているとある高校生の女の子と、
ピアノ教師の会話。


生徒:「先生!この曲苦労の甲斐あってこんなに弾けるようになりました!
聴いてください!」

先生:「どれどれ。おー、よく弾けるようになったな〜。こんな難曲をここまで弾けるようになるとは驚いた。素晴らしいよ。よーしよし。」

生徒:「いえ〜い♪ ところで先生、この曲、誰の曲ですか?」


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こういう会話が冗談ではなく、日常どこにでもある会話だと知ったら
皆さん、どう思います?

これがクラシック音楽界の現実。

実は音大でもこの状況はそれほど変わらない。
「いくらなんでも…」と思われるでしょうけど
こういう人、かなりいる。


また不思議な事だが、(クラシック)音楽の世界は
音楽を「やる」人と「聴く」人がかなりの分かれ方をしている。


「やる人」は「やる」だけでコンサートには来ない。
「聴く人」は「聴く」だけで楽器を演奏したりしない。
もちろんそこまで極端ではないのだけど
かなりの部分でそうであることを
この仕事をするようになってから知った。


もっぱら「聴く」人が自分で音楽をやらないのはまだ良い、
というか「音楽鑑賞」という趣味が普通に存在するわけだし
それはむしろ自然なことなのかもしれないけれど、

「やる」人がコンサートに全然行こうとしないのはどういうわけなのか、私にはさっぱりわからない。
理解に苦しむ。


しかし一部の友人を見ているとやっぱりそうなのだ。
そいつらはコンサートに誘っても全然来ない。


そうしてその連中は、
例えば「ピアノの発表会をやろう!」といった場合でも
参加することに対してのノリは良いが
「自分は何を弾いたらいいのかなあ?特にやりたい曲ないし。」
といった具合。


じゃあ、オマエは何で音大にまで行って勉強してたんだ?
ハンパじゃなくお金もかかるのに。

いつもこう言いたくなる。


私は「音楽する」から聴きたい、
「聴く」からもっとより良い音楽をしたくなる、
そのエンドレスな連鎖の中にいる。



そうしてそこに私の人生の重要な柱があるわけだし。






...




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