指揮者とオケと夫婦の関係? - 2005年05月30日(月) う〜、蒸し暑い。 今年はカラ梅雨か?なんて書いてしまいましたが ハズレるかな? ところで昨日、「N響アワー」の時間帯で 「想い出の名演奏」というのをやってましたね。 1994年のゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルの演奏。 R.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」と ベートーヴェン「交響曲第7番」。 この時のウィーン・フィル来日公演は なんだか演奏が冴えない、とか クラリネットのシュミードルがチューニング中に慌てて舞台にはいってきた、とか あのウィーン・フィルも毎年のように来日が続くと 緊張感がユルんでこんなんじゃイカン! なんて専門家筋がら酷評されていたのを思い出します。 私がこの時行った横浜公演でのチャイコフスキー「悲愴」は すごく良かったですけどね。 ウィーン・フィルの素晴らしく優美な弦楽器群がチャイコフスキーのメロディーを この上なく切なくしなやかに歌い上げていました。 ところでショルティといえば昔から豪腕・熱血。 彼が指揮すりゃ、オケは痛快に鳴りきる 音楽バカ一直線みたいな激烈な大指揮者で知られていますよね。 ↑こんな風に書くとひどい音楽家みたいに見えちゃいますかね。 いやいや、誰もが認める真の大巨匠です。 私は本当に彼が好きだった。大ファンです。 (前にも書いたような気がする…) しかし、最晩年まで(82歳くらい?)若いときと全然変わらないように見えるショルティでも、 現にこの94年の来日当時も私自身そう感じていたこの名匠も、 昨日のオンエアで改めて見、聴いていると 「やっぱり年とって随分円くなったんだなぁ…。」 と思わずにはいられませんでした。 でもあの若々しい顔の表情。 爛々と輝く、後ろを振り向くことなど知らないような、いつも未来にむかっているあの目。 本当に魅力的だ。 何年前だったか、ウィーン・フィルの、確か創立150周年記念のドキュメンタリー番組みたいなのがあって、 その中で色々な指揮者をはじめ、音楽家のインタビューがあったんですね。 そこでショルティは 「ウィーン・フィルは本当に素晴らしいオケさ。偉大な伝統があってね。私たちは30年以上も素晴らしい関係を築いてきた。最高の信頼関係だよ。 でもね、彼らはどうしても自分のやり方を曲げないんだ。私が一拍めを降ったら即、音を出してくれ!というのにどうしても少し間を置いてから音がでるのさ。優雅にね。でも一拍めは一拍めなんだよ。それだけがなぁ〜。」 (↑正確にこう言ってたか記憶があいまいですが、内容はこういうものだった) と言う。 そしてその次にでてきたオケの団員曰く (誰だったかな〜?コンマスのウェルナー・ヒンクだったような気がするのだけど…) 「ショルティとはね、今や最高の関係ですけどね、最初の頃は何しろ強引で私たちとは違う流儀で自分の音を出させようとするんですよ。指揮棒を振り下ろしたらすぐ音を出せとかね。 でもウィーン・フィルの音はそういうのとは違う。だから昔は『ショルティのヤツを絞め殺してやりたい』なんて言ってる団員もいましたよ。でも今は誰もそんなこと言わない。みんな彼を尊敬している。お互い妥協点を見つけてここまできた、ってとこかな。でも彼はどうしても一拍目の音をバン!と即、音にしようとするところは未だに直りませんし納得できませんけどね。」 この双方の言い分を聞いててとっても可笑しかった。 微笑ましかった。 なんだか長年連れ添った夫婦みたいなやり取り。 (別撮りだから会話ではなかったけど) だって彼らはうまくいってたんだもの。 これだから人間は面白い。 ...
|
|