ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

2つのオペラ - 2005年03月23日(水)




小澤征爾さんがこの春から始めた
「東京オペラの森」。

そのメイン・プロであるR.シュトラウスのオペラ「エレクトラ」を観てきました。
(やっと書けた…)


既に主要新聞に批評が出ていますが、
なぜにいつも小澤さんが指揮するオペラはこうもたたかれるのか!?


飛び抜けた人というのは「アンチ」を作りやすいものだとは思うけど、
こうバカの一つ覚えみたいに「小澤の指揮するオペラはダメだ」
みたいなことを言っていれば官軍にでもなったつもりなのだろうか?
特に、準サイトウ・キネン・オーケストラといった感じの
腕利きの若いソリストたちを集めたオーケストラに批判が集中していた。
「オペラにしては平板だ。」とかね。


読売に書いていた三宅幸夫さんだけが
「小澤の指揮するオーケストラは瞬時たりとも緊張の糸がとぎれない。古代ギリシアの城門のような重量感・圧迫感がほしいところもあったが、小澤の意図は、むしろ作品の複雑な声部構造(注:いくつもの音・旋律が織りなしているさま)を透かし見せるところのあるのだろう。」
と書いていましたが、私もまったく同感。


小澤さんの指揮するこのオーケストラの素晴らしさ、
例えばショルティがウィーン・フィルを指揮するような激烈で官能が沸騰するような演奏とは大分様子が違っていたが(そういうのが普通このオペラのスタンダードと考えられている。世間では)、
三宅さんがいうように透明で、シュトラウス一流のオーケストレーションからなる音がしなやかに清冽になるさまは本当に壮観だった。


歌手についてはどの批評も絶賛を惜しんでいないが、
これも凄かった。

ワーグナーの「ニーベルングの指環」のブリュンヒルデを歌ったら当代随一のデボラ・ポラスキが歌うエレクトラと、
一世を風靡した“カルメン”歌手アグネス・バルツァが歌う母、クリテムネストラの1対1のやりとりは鳥肌なんてもんじゃなく、
正直そこに座って聴いているのが恐ろしくなるくらいだった。


ポラスキのエレクトラは、
復讐に燃え、ほとんど狂人と化している女、というよりは
気品を失わず神々しさすらある、
なるほどこの女はトロイア戦争の大将軍アガメムノン王の娘なのだな、
と思ってしまいましたね。


私はポラスキを今までブリュンヒルデでしか聴いたことがないからそう思うのでしょうかね?


バルツァのクリテムネストラはほとんど化け物。
どこまでが役なのかわからないくらい。



そしてロバート・カーセンの、闇の壁(穴の底?)でドラマを凝縮した演出。
これもギリシア悲劇の心理的面をよりクローズアップしてくれた、
という感じでとてもよかったと思う… んだが

でもこれ、絶対思った人いると思うのですが、
去年Bunkamuraで観た蜷川幸夫さんが演出して
大竹しのぶやジャニーズの岡田くんが演じた「エレクトラ」の演出にそっくり!


舞台セットといい、登場人物の黒一色のコスチュームといい、
エレクトラの心を表すようなダンサー(?)たちが20人くらい
後ろに絶えずいて動いている、ということといい。


これはどういうこと???



それはともかくオペラ「エレクトラ」。
どれをとっても世界水準の(こういう言い方をいちいちするのが恥ずかしい気がする)
素晴らしい公演でした。




ところでその数日後に行った
クリスチャン・アルミンク指揮新日本フィルの
ベートーヴェン「フィデリオ」ならぬ、
その完成版前のバージョンのオペラ「レオノーレ」。


これもなかなかよかったですけどね、
歌手も指揮もオーケストラも。

とはいえ、あの陣容で「エレクトラ」を観た後では
何を言っても…はぁ。

いや、演奏はホント良かったんですよ…それなりに。


ただ、「レオノーレ」をいかに改訂して「フィデリオ」になったか、
いかに「レオノーレ」が完成版にない魅力があるか、
(あの序曲「レオノーレ」第3番が序曲として使われる。)
2つの違いはなかなか面白かったけれど、
私としては(いかにベートーヴェン好きな私でも)
やっぱりベートーヴェンといえども不向きなジャンルがあったんだな、
オペラは不向きだったんだな、


と、ある種の退屈感とともに、こうした考えが変わる、ということはなかったです。





...




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