音楽馬鹿への道 その5 - 2005年01月21日(金) また前回からだいぶ時をおいてしまったので 過去文を読み返してみた。 小学校高学年になり演奏委員会でアコーディオンを弾いたり 鼓笛隊で副指揮をやったり 「中途半端な自己顕示欲」というところで終わっているが ハタと気がついた。 私は小学校時代、学芸会(1年おきだったから3度あった)において 実に3度とも主役をやっていたのだ。 2年生の時「鼻の短いゾウ」 4年生の時「こぶとりじいさん」 6年生の時は身体表現みたいな出し物で冬に入る前、コツコツ餌を集めるアリの頭領の役をやった。 おお、自分が役者の養成所に行ってみようなどと思うようになったのは レッキとしたルーツがあったのだ。 全然気づいてなかった。。。 話が少しそれたが 自己顕示欲はあっても中途半端だったためか 人前でピアノを弾くことはしなかった。 ばーちゃんに強制されるピアノが嫌いだったから、というよりも 鮮やかに弾けるワケでもないし、 人前で披露するにはピアノは難しすぎた。 すんごい緊張するし・・・。 ちゃんと弾けなくて「なーんだ」と言われるのが怖かった。 担任の先生は私にさかんに伴奏させようとした。 音楽の時間の歌の伴奏や 学年合唱の行事の折の伴奏。 でも私は弾かなかった。 ガンとキッパリ断るのでもなく 「う〜ん、ちょっとそれは…」みたいな感じで なんとなく返事を先延ばしして、結果いつもやらなかった。 ところでこの頃、両親はというと ばーちゃんが自分たちより子供の教育に口を出すので かなり腹をたててたようだが 「でもまあ、孫可愛さのことだから仕方ないか…」と 私には「いいじゃない、ピアノは面白いよ〜」のような感じなことを言っていた。 でも私は解放されたくて仕方がなかった。 しかしこの時代のばーちゃんは元気だった。 ピアノを教えている生徒も 幼稚園児から主婦まで30人くらいいたのではないかな。 明るくて裏のない、話好き世話好きな九州女性だったから 生徒にはえらく好かれていたな。 ...
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