私の思い - 2004年12月20日(月) 書く、書くといっておきながら 全然更新されない「音楽馬鹿への道」。 スミマセン。。。 そのいずれ書くだろうことを先取りしようとワケではないが、 ちょっとひとつ。 最近、たまたま2〜3人の友人や仕事関係の方から 続けて言われたことがある。 「みゅう太さんって趣味が仕事になってていいですよね。」 私は「音楽が趣味」と言われると、ひどく違和感がある。 いつもそうだ。 もっともこれは肉親・友人を問わず私が音楽をやり始めた頃から ずっと言われ続けてきた。 そしてずっと「それは違う」と言い続けてきた。 じゃあ、何なのか? 別にプロの音楽家ではないではないか? 作曲家でも演奏家でも評論家でもなく、 今はたまたま音楽マネージメントのオフィスにいて、 音楽に「関係している」仕事をしているだけではないか。 だからオマエにとってピアノを弾くのも歌を歌うのも オーケストラでたまに演奏するのも それは単なる趣味ではないのか? 色んな人に昔からずーーっと同じことを言われ続ける。 しかし、それは違う。 もちろん「趣味として音楽をやり、聴くこと」もその中に含むけれど。 確かに上に書いた、そう言われることはみんな事実だ。 私はプロの音楽家ではない。 だから、これを否定するのは、 私が決めたから、というほかない。 でも私にとって音楽は人生だ。 “Life”という横文字にした方がより近いかもしれない。 ・・・一笑に付されそうである。 しかし・・・。 私は18歳になった時に、いくつかの契機と出会い、 一生を音楽にかけることに決めた。 その時開いた自分の心の扉はすっと閉じない。 その時の気持ちは今でも微塵も変わらない。 作曲家や演奏家になるような才能はなかったけれど、 少しだけでも音楽の才を天から賜ったと思っている。 それは本当に微々たるもので、ちっちゃなちっちゃなものだけど。 それを社会の中で使っていくことは 私のこの世に生まれた義務だと思っている。 天からそう言われている気がしてならない。 幸いにも、仕事の中でもこの間から書いている聖歌隊のようなところでも ほんのちょこっとでも私を必要としてくれることもあった。 今までも音楽を聴く時、自分が演奏する時、 どんな場でも私は私の全てをその行為に注いできた。 全身全霊をもって。祈りを込めて。 だからこれからも私は前に進む。 音楽は人に力を、光をくれる。 なかなか理解されないのは寂しいけど、仕方がない。 自分で思い込んでいるだけだから。 それでも私は死ぬまで音楽をやり、前へ進む。 ...
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