音楽馬鹿への道 その4 - 2004年10月26日(火) また随分時をおいてしまったので 何をどこから… ふむふむ…(←こればっかし) で、小学校の音楽の授業はますます好きになり、 家でばーちゃんにピアノを習うのはますます嫌いになった。 ばーちゃんとの抗争はさらに激化。 私が家に帰るのをばーちゃんはてぐすねをひいて待ち、 私が逃げようものなら、真っ赤になって 「なんで弾かんね!!」と竹のものさしを持って 追っかけてくる。 私もだんだん大きくなってきたから そのものさしをもぎとってへし折ったりする。 ホント過激だった。。。 ピアノに遊ぶ時間を割かれ、 ナゼ好きでもないものを強制されるのか、 子供ながら納得もいかず、 しかも日頃全然縁のないクラシック… しかもクソ面白くもないバイエル(ピアノ初歩の練習曲本です)とか かしこまったソナチネ・アルバム(ちょっと進んだ曲集です)ばっかし。 どう好きになれというのだ。 なのに学校ではやっぱり音楽は好きだった。 4年になると委員会活動があり、 学級委員のほか、 清掃委員だとか栽培委員だとか飼育委員だとか なにかやらなければいけない。 その中に「演奏委員会」というのがあり、 私は即刻立候補してそれに入った。 そしてそこでアコーディオンを弾いた。 どんな活動をしていたのかよく覚えていないが、 ただただ楽器を弾くのが楽しかった。 アコーディオンって、鍵盤を弾くこと自体は ピアノを弾ける人間にとって大したことないのだが、 あのジャバラ(?)を伸び縮みさせる段階で 空気の流れを微妙に調節しないと 音量の調整が上手くいかないのだ。 ちょっと力を入れすぎると 途端に脈絡のないバカデカい音が出てしまったりする。 それから私の通っていた小学校では鼓笛隊があった。 5年生になるとそれに入れる。 毎週金曜の朝礼で全校生徒の先頭にたって 行進するのだ。 私は5年になるとこれまた早速入隊し、 最初はシンバル担当になった。 でも私はこれには不満だった。 だってたまにしか鳴らす機会がない(><) 周りの小太鼓、大太鼓、ベルリラ(鉄琴をたてにしたような楽器) の連中はずーっと演奏できるのに シンバルはたまにしか出番がない。 今なら「その一発に魂を込めて!」「貴重な一発だ!」 なんてことも考えられるが、 (確かに打楽器奏者の方には失礼な話だ。。。) 子供時分の私にはそんなの無理。 で、6年生になったら変えてもらおうと思っていた。 なのにナゼか今度は副指揮者になった。 音ださないのに… 先生に言われたからだったのだが この方が目立つ気がした。 ちょっと目立ちたかった。 でも主指揮になって朝礼台にあがって全体を指揮するだけの 度胸はなかった。 だから副指揮者。 クラスの先頭に立って 旗のついた長い棒を威勢良く上下に振っていた。 中途半端な「目立とう精神」。 しかし考えてみるとこの中途半端な自己顕示欲。 まさしく今に至っているような気がする。。。 ...
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