山南総長のたそがれ - 2004年08月17日(火) 昨日書くのを忘れてしまったのですが お盆休み中に10000ヒットを超えてました!!(^^)/ 日記を書き始めてからおよそ1年半。 あっちゃこっちゃ話が飛ぶような こんな独りよがりな文章に 延べ、とはいえ10000ものアクセスをいただいたこと、 本当に感謝です。 どうぞこれからもよろしくお願いしますね。 で、例によって話は飛ぶのですが(苦笑) NHKの「新撰組」、いよいよ面白くなってきましたね。 芹沢鴨が死んだあたりから視聴率もグンとよくなったらしいけど 私に言わせれば最初から面白さは全く変わっていませんよ。 ざまあみろ、という感じっす。(← 何が?) 来週の放映でいよいよ山南敬介が切腹する。 私はこの「新撰組」が1月に始まって以来 私の好きな俳優、堺雅人さんが演じていることも手伝って 主役たちよりも、この山南さんが好きだった。 (あと永倉新八ね。) 誰よりも強く、熱いのに それを秘めた冷静沈着さ。 そしてあの知性。 ああいう人でありたい、とよく思う。 ところでこないだ「坊っちゃん」につきまとう寂しさのことを書いて以来、 私にはどうしても最近の山南さんがオーバーラップしてならない。 山南さんも、近藤勇が江戸で道場をやっている時から 彼の人柄にひかれて集まった一人、 黒船来航以来混迷を極める日本をどうにかしたい、 と熱い情熱をもって集まった一人だったのに 今や「新撰組」が大きくなると いつのまにか孤立した存在になった。 一人一人の個性が集まって組織が形成してきたハズなのに 「組織」が先にたって、「個」は主張しずらくなり みんなが「組織」を維持するためのオキテにしばられビクビクして 武田歓柳斉(字あってるかな?)みたいな腰ぎんちゃく、 (八嶋さんがうまく演じてるよね。)とか 伊藤甲子太郎のような、実権をとってやろうと企む男も現れてきた。 人間関係が実に複雑に、難しくなってきた。 先週の放映で、山南さんの言動をとても丁寧に追っていたが この黄昏に、私も身をつまされた。 私ごときを維新のまっただなかにあった山南さんと一緒にしてはいけないが なんだかとっても気持ちがわかるというか。 私も就職したころは みんな「いいアーティストといいコンサートを作りたい。」「お客さんがみんな笑顔でホールをでてくるようなコンサートが作りたい。」と考え 「ウチは一人一人みんな個性的で違った能力の持ち主なのだから、それぞれやりたいことを出し惜しみしないで、一生懸命やっていこう。」という職場の空気だった。 だから周囲の個性をむしろ楽しんで、お尻をおしてあげるような雰囲気があった。 今は違う。 足のひっぱりあい。 周囲が自分と違うことをイヤがり、違う人間は排斥され 社則にもない暗黙のルールのようなものが作られ なんだか閉鎖的な「むら」のようになった。 新しい人間が入ってきても、 まっすぐな人間でも少々鈍い人間はすぐやめるハメになり ズル賢い人間は残っていく。 大部分の人間が自分の保身に走るようになった。 会社もいかに儲けるか、だけを主体とした姿勢に走りつつある。 私はそれが不快でたまらない。 もちろん利益をあげてこその会社で 私もそこから給料をもらって生活をしている。 だから文句はいえない。いわない。 でも、さ。 私たちの扱っているのは「音楽」。 ナマ身の人間のから生まれる「音楽」。 もう少し考えないか? 電話の応対にしてももう少し明るく、誠意を持たないか? 人に対しての悪意ばかりがオフィスに増殖する。 それは見てるだけでも結構ツライのだ。 さて、今度の「新撰組」。 山南さんはそれでも 近藤さんや総司や源さんはもちろん 彼を苦々しく思う歳三からですら、根っこでは愛されていた。 だからなんだか余計にツライ。 でも山南さんは、 きっと切腹する時に未来に向けて何かを見せて、 聞かせてくれるにちがいないと思う。 三谷さんの脚本はきっと何かを用意しているし 堺さんも見事に演じてくれるに違いないと信じている。 私は見たい。その何かを。 ...
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