またまた素敵な才能が - 2004年07月22日(木) 私は新しい未知の音楽や才能に出会うのが好きだ。 このことは折に触れて書いてきたと思うが 昨日もまた嬉しい、素晴らしい才能を聴けた。 田村響(ひびき)という18歳の男性ピアニスト。 日本もピアノ、ヴァイオリン、チェロでもここ数年 女性からはすごい人がでてくるが どうも男はダメだなあ…というのがちょっと寂しかったのだが この田村くん、すごくよい、と言う以上にとてつもない才能の持ち主だ。 外見は市原隼人くんみたいにモサッとしてて 小柄だがなんとなくマッチョな感じ。 お辞儀もなんだかぎこちないし、 座ってからもナカナカ音を出さない。 手を置こうとしてはまた引っ込める。 大丈夫かな?と心配するうちリストの「悲しみ」(3つの演奏会用練習曲から) を弾き始めた。 もう最初の20秒ほど聴いただけで疑いようのない才能がここにいる、 ということは明らかだった。 ピアノを弾いている、という次元を大きく超えて はばたくイマジネーション、得も知れぬ音色… もうここにいる少年がはっきりと“音”ではなくて豊かな“音楽”を見据えて弾いているのは手にとるようにわかる。 ほとんど「詩的」といっていいくらい。 私もその音楽に耳を傾けるうち、どんどん別世界へと気持ちが誘われていった。 この日、最高の出来だったのは後半のリスト「ソナタ・ロ短調」。 彼の能力がガップリ四ツに組める音楽(本当に巨大で特異な音楽だ。この曲は!) と出会って自由にふるまっていた。 ただ少し気になったのは、前半のリストとプロコフィエフの「戦争ソナタ」で 彼がこの自分のありあまる能力にブレーキをかけたがる、というか 控えめに、抑制をきかせて、という以上にブレーキをかける。 静かな、重く、暗い部分へと傾斜しのめりこむクセがあるのか 音楽全体はとっても安定感があって(なにしろどんな難しいパッセージでもラクラク、という感じだ。)健康的で、10代とは思えないくらいしっかりとした知的な構成感を示してくれるのだけど、 聴き終わったあと、どうも開放感がなく重い感じが残る。 それに彼が結構重めでしっかりとした、 そしてしっとりとしたタッチを基本にもっているので それがその印象をさらに助長する。 プロコフィエフの「戦争ソナタ」など 去年聴いた、園田高弘先生の爆演!? 75歳の老巨匠が私たちに「この曲はまさしくモダニズムの旗手の音楽だったのだ!」と 思い出させてくれた強烈な演奏に比べると こんなに穏やかな落ち着いた曲だったか? というくらいだった。 でも後半のリストのソナタはそうではなかった。 彼の全能力、思いのたけがすべて、 天使と悪魔、優しさから猛々しい情熱まで忙しく駆け巡るこの超大曲と一緒になって燃焼し尽した、 という手ごたえ。 華々しい技巧と音楽のどっしりとした安定感がしっかりと手を握り合ったリスト。 昔聴いたゲルバーの名演を思い出した。 アンコールのゴドフスキー「こうもり・パラフレーズ」。 この名人芸の披露という他何者でもない曲が そのふんだんなショー的技巧を超えて素晴らしくあたたかい歌に満ちていたし お客さんは沸きに沸いていました。 とまあ、職業柄、長所・短所色々必要以上に考え込んでしまうのが 私の悪いクセなのですが 若い時からこんなに才能に恵まれた音楽家(特に男性は)に出会うのは 私には本当に嬉しい出来事なのだ♪ ...
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