アバドのワーグナー - 2003年06月04日(水) クラウディオ・アバド。 小澤征爾さんとほぼ同期の、イタリア出身の大指揮者で、 カラヤンの後を継ぎベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を12年務めあげ、昨年勇退した。 かつてはロンドン交響楽団、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場の音楽監督も歴任していて、名実ともに現代最高の指揮者の一人である。 アバドがそういう素晴らしい音楽家であるのに異論がある人はいない、と思うし私も大意において異存はないのだが、 でもどうも私にはピンとこないことろがあった。 音楽が心の底まで届いてこないというか。 何をとってもこの人の音楽は良い。爽やかな流れ、オーケストラから引き出す透明な音、他の人が考えないような果敢なプログラミング。 それに何よりもこの人の音楽に向かう姿勢が真摯だ。 人間的にも実に真面目な人物である。 …にも関わらず、私は感心はしてもあまり感動はしない、という人であった。 それが、自分にも謎だった。 ウィーン・フィルとの来日でブルックナーの「第7交響曲」、ベルリン・フィルとの来日でマーラーの「第3交響曲」、ヨーロッパ室内管弦楽団とベートーヴェンやストラヴィンスキー、アイヴズをそれぞれ聴いたが、 「さすがだなぁ〜。」と思う反面、「ふ〜〜ん。こんなもんかぁ。」 と感じてしまうのだ。 (ちなみにウィーン・フィルのコンサートマスター、キュッヒルさんと話した時、「ああ、あの時のブルックナーはねぇ、良くなかったデス。」と言っていたからあながち自分がおかしかったわけではなかったようだ。) しかし、それは今までの話。 今のアバドはどうやら違うらしい。というか違う。 昨日、彼とベルリン・フィルの最新のワーグナー・アルバムのCDを聴いて ものすごく驚いた、というか体中の毛が逆立つほど感動した! 実は少し前にもアバド/ベルリン・フィルのCDで、マーラーの「第7交響曲」とヴェルディの「レクイエム」を聴いた時にも驚いた。 それまで私の知っているアバドの音楽とは違って、いやその爽やかでしなやかなスタイルは全然変わらないのだけど、音楽の中身が全然違う。 なんだかオーケストラの音が、音楽がそれを超えて生き物のように鼓動し、私の心に「グワーーッ」と迫ってくる。 それにそれは例えようもなく高貴ですらあるのだ。 私は昨日ワーグナーのCDを聴きながら「信じられない…」と独り言を連発していた。 よもや、今のアバドからこんな演奏を聴く事になるとは思わなかった。 それにきっと死ぬまで自分は聴かないだろうな、と思っていたアバドのワーグナー、特に「トリスタンとイゾルデ」にこんな強烈な感動を覚えるなんて夢にも思わなかった。 私は「今のアバド」と書いた。 これを書くのはあまり良くないのではないか、という気がするし、不謹慎なような気もして大変気がひけるのだが、実はアバドは癌に犯されていて、少し治療のため休養した後2000年に復帰した。 私が書いてきたアバドの演奏はすべて闘病後のものなのだ。 アバドという人は「万年青年」の容姿をもっていたのだが、昨年テレビでみたあまりのやせ細った痛々しい姿、凄絶な指揮ぶりにものすごくショックを受けた。 闘病後の音楽家の変貌、などと美談を感じるつもりは全くない。 でも本当に彼が変わったのは事実だ。 その音楽は本当に凄くなったのだ。 私は素直に、人間は底知れない凄さをもっている、と思う。 ...
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