2016年08月09日(火)
昨日は子供が学校に行かなくなっちゃってるお母さん、に会った。友達だ。
普段私は一人だから、子供のことは分からない。
だから自分の子供時代を思い出しながら話したけど、子ども時代のことを思い出すと、子供ながらに色々考えていて自我はちゃんとあったわけだから、親がああしてほしいこうしてほしいと思っても子供はその通りにはならないわけで、子育てって本当に大変だなぁと思った。
私の貧乏悩みも大変だけど、子供の悩みも大変だなとつくづく思った。
子どもを学校に行かせるために?
親がもっと家を居心地悪くさせたらいいんじゃない?とか。
親がいっそ病気にでもなったら自立するわよ、とか(なんて乱暴な!)。
色々意見や助言はあるだろうけど、果たしてそれがその子どもにとって合うのかどうかなんて誰にも分からない。
子どもはそれぞれが違うから。
正解はない。
それに、正解って一体何だろう?
だいたい考えてみると、うちのオカンなぞ、子供時代、家が貧乏すぎたし、田舎すぎたし、戦争だったしで、小学校からほとんど学校に行ってなかった。それで中学卒業の年になって、日本橋に日本料理店に奉公に出されちゃった。
しばらく働いていて、私が前に住んでいた冥界近所の永福町あたりにもよく来ていたらしい。
でも、奉公先のおかみさんがいい人で「何か手に職をつけなさい」と熱海のマッサージ屋さんを紹介してくれて、そこに住み込みで入って、マッサージ学校に行かせてもらった。そこで学んで、視覚を取って、75過ぎた今もちょぼちょぼ働いている。マッサージ師で。
昔の人はそうやって、小学校もろくに出てない、なんてのはけっこうザラで、珍しくもなかった。
昔と今は違うのよ、というけど、大学出たって就職したって、リストラされて引きこもり、なう、な時代だ、今は。
学校行けないなら行かなくてもいいと思う。
ただ、せっかくの子ども時代。。。友達とワイワイ楽しく過ごした時間、その思い出、それを持てないのは切ないなぁと思う。
ワイワイしなくても、誰か一人でも、たとえその相手が一生の友達にならなくても、その数年を共に過ごす、誰か一人がその子にいてくれたらいいなぁと願う。
あと、その子が、学校にいるとだんだん息苦しくなってきちゃうと言ってると聞いて、ああ、私もそうだったし、今もそうだなと思うから、息苦しくなっても平気だよ、とその子にいつか機会があったら言ってあげたい。息苦しくなったら、その瞬間だけどこかに逃げて、またいつでも戻ってきていいんだよって言ってあげたい。
息苦しくなることを恐れないで。息苦しくなることがあたりまえで、息苦しくなってる!!と宣言して、治ったら、ああ、治った!と宣言して。堂々と息苦しくなっていいんだと言ってあげたい。
息苦しくて、みんなと合せるの苦手で、そんなんであたりまえで、それを堂々言って、堂々胸張って生きてほしい。
だから、本当は私はその子に学校に行ってほしいなぁ。と願う。
堂々としていいんだもん。自信を持って。
その子が学校という場から逃げる必要なんてなくて、その子こそ、堂々と学校にいてほしいなぁと思う。
そして息苦しくなっちゃう子がいるんだって知ることは、周りの子にとっても、すごくいいことなんだと思うけどな。
私はずっと息苦しくなる!!と宣言しまくって生きて、今に至ってる。
れい子さんのところで働いてるときもそうだったけど、今も店に行くと今日はどこどこが悪い、と宣言してから働いてるもん。
堂々病人!
堂々ダメダメ!
その子には自信を持ってもらいたい。大丈夫だ。大丈夫。ぜったいに大丈夫。