ひぽこんコラム

2016年06月09日(木)

私は別にピーター・バラカンさんに対して何ら感情もない1音楽ファンなのだが、こう、メディアのバラカンさん信仰みたいのが、なんかむずがゆいのだ。

 音楽関係者にこのことを言うと、まあまあとたしなめられるのだが、それもなんか、こう、むずがゆいのだ。

 バラカンさんとは何度かお会いしたことあるし、お話もしたことあり、とても紳士的ないい方だからご本人には何ら落ち度もないし、本当に音楽がお好きなんだろうなと思うが、でも、正直これまでバラカンさんが書いた素晴らしい音楽評論というのは読んだことはとりたててない気がする。ハッとする、この評論があるから、この音楽の魅力が倍増した!みたいなの。

 素晴らしい評論はそれが評する作品自体と同じくは、時にはそれを上回るほどの発見やらがあると思う。

 そういう素晴らしい評論をする先生方は音楽関係にだってほかにもいる。

 でも、メディアはなんかこう、音楽を選ぶなら、いい音楽を語るなら、やっぱ、そこはバラカンさんでしょう? みたいに安易に選んでないか?と思ってしまう。

 ほかにだって素晴らしい音楽を選んでくれる、すばらしい言葉で音楽を語ってくれる先生はいるけど、そんなのいちいち探すのめんどうだし、カメラ写り映えないしぃ。みたいな?

 なんかこう、ぱぱっとかんたんに選べるバラカンさん、みたいになってやないか? バラカンさんのコンビニ化?みたいな???

 なんか、バラカンさんが音楽に真摯であるのに逆行して、バラカンさんに頼んでおけば、というメディア側は、ぜんぜん音楽に対して真摯じゃないって気がしちゃう。

 和田さん、それは嫉妬じゃない?とか言われるかもしれないが、私自身、もう全然音楽関係の人間だと自分を思ってないし、自分が今真剣に考えてることは「どうしたら店に人を呼べるのだろうか?」だしw 正直音楽より相撲だし。

 ただ、そういうメディアの怠慢が、ぜんぶのメディアの怠慢にもつながってるような気がして。なんか、はがゆいのだ。

 ・・・とか書きながら、今、むくみがひどくて、足に温熱器当ててる。。。じゅうう。。。。

 
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