2002年夏出産:のびのび一人っ子の母:名古屋の主婦 KKの短い日記
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義理の父(以下、父)の耳が本当に遠くなって本当に本当に困る・・・ 義理の母(以下、母)がこぼす頻度は増え、年齢も年齢だからねえとKTKK夫婦は 半ば諦め。呼んでも答えがないためか父母間の会話も減りつつあるようで、仲の 良かった二人の形が変化してしまっていました。 そんな中、二週間の母の検査入院。 コロナの関係で、入院の間は一切面会できず・・・その間父のご飯の準備を一応 KKはしてはいました。といっても、持病がいくつかある父なので、今まで母が 準備していた物をそのまま引き継ぐ感じで。
母が入院した日に、父を補聴器センターに連れて行きました。すると何と! 聞こえないのは耳垢が詰まっているからとのことで、耳鼻科の受診を勧められました。 その数日後、KTが父を耳鼻科に連れて行ったので、すっきり聞こえるようになった父。 母が退院したらさぞ喜ぶ!! KKもちょっとワクワクして、病院にいる母に手紙を書きました。 「お母さん、お父さんの耳なおりましたよ!」と。
そして母退院の朝、実家に行ったKTとKKの目に飛び込んできたもの。 廊下で倒れている父の姿。 救急に電話をするKTの横で、必死に呼びかけるKK。 「おとうさん!おとうさん!おとうさん!おとうさん・・・!!」 KK実父の最期とも重なってしまい、呼びながら泣いてしまいました。 その後、救急・警察とたくさんの方にお世話になりましたが、父は結局戻りませんでした。 その日の朝4時には亡くなっていたようだとのお話でした・・・。
お母さんになんて言ったら。 KTKKはその日の午後、母を迎えに行くために足取り重く病院に向かいました。
父は親戚の中でも人気者でした。いつも笑顔で、特にお酒が入るとご機嫌で、 でも悪酔いもなく、歌も上手く。 なのに・・・このコロナの影響で本当に小さなお葬式。 好きだった着物を着せていただけたのがせめてもの慰めになりました。
お通夜の前にKT弟さんがポツッといいました。 「最後(KT弟さんが父と話した最後の人です)別れるとき、おとうさんが 『KKちゃんが毎日きてくれるんだよ。あの子は本当にいい嫁だよ』って・・」 それを聞いてKKはもう・・・堪えられませんでした。 毎日なんて行ってないんです。その直前にたまたま二日連続で伺っただけで。 ご飯だって冷凍を作り置きしたのみ。ひどいものです。ひどい嫁ですよ。 もっと早く気づいていれば。 お父さんがずっと持病の薬を飲み忘れていたこと。 以前も耳垢がつまったから一時的に耳が遠くなっていたこと。 お母さんの体調変化。 こんなひどい嫁を待っていて亡くなっちゃったんですか? ごめんなさい。 ごめんなさいお父さん。 お母さんも、ごめんなさい・・・・。
コロナで会社以外の人とは肉親しかほとんど話さず、KKの心も弱っている気がします。 実父は実母が看病して、早逝したとはいえ手を尽くした感がありました。 なので、悲しいと行っても喪失感がほとんどで、悔しさは少ないのです。 でも、KT父の場合は最後の言葉を思い出すたびに後悔の涙が出ます。 KT父母はまったくわがままを言わない人柄だったので、鈍感なKKにもどかしい思いを されたかもしれません。でもそれすらも感じさせませんでした。
一ヶ月以上経つ今日、補聴器センターからその後どんな感じになりましたか?という 丁寧な問い合わせメールが届き、また泣いているKKでした。 ごめんなさい。さみしいです、お父さん。
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