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かっこうとこう鳴くのと、かっこうとこう鳴くのでは、 聞いてもずいぶん違うでしょう。
ピアノを弾く者には、心したい言葉だ。 (ピアノ以外も、でしょうねえ) 何度弾いても同じようにドレミ、と弾けることが 「弾けるようになったこと」と思いがちだけれども、 どの1回も、一万回も、やはり違うのだ。
(宮沢賢治朗唱伴奏CDを、また聴いておりまして)
次々に訪れる生き物たちと丁々発止のやりとりをし、 いつのまにか、とんでもない練習量をこなしたゴーシュ。 いつのまにか、その練習が「誰かを治した」らしかったのだが、 もっとも「治した」のはゴーシュ自身の演奏だった。
ピアノの鍵盤を押し下げる指の動き、ひとつひとつが 誰かの、ではなく、自分のための何かになる、 そういう気持ちが沸き起こることは、しばしばある。
かつて(40年以上前ですよー)、ピアノを習い直したときの 基礎練を推奨する恩師の言葉はまさに金言だった。 「かならず、将来のためになるから」
はい先生。 今もやってます!
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