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亡き金ヶ崎のオジちゃんの存在が、 意外なほど大きかったことに 我ながら驚きつつ、悲しみ続けている。
年齢は十分だったのだ。 大往生と言ってもよい。 頑固モンだった。 遊ぶとなったら、徹底的に遊ぶ人だった。 仕事には厳しかった。
ヨコハマの教員になるって決めたとき、言われた。 「なぁんだ、採用名簿に載っていたのに」
しかし、若いがゆえの反骨を少々持ち合わせていた私。 オジちゃんの息のかからない場所で いってみれば「のびのびと」過ごしたい気持ちがあった。
岩手で教員になったあかつきには、 どこに赴任しようと、 「あの○○の姪っこ」 というレッテルがついてまわることは必至。 恩恵もさることながら、 重圧もかなりのものだ。
たとえば都市部に着任しようものなら、 「やっぱりね」という目でみられることだろう。
「一度は家を出なさい」 という、父の一言も、かなり効いた。 (父には素直なワダス)
・・・ 記憶をひっくり返し、ほっくり返し、 糸を手繰って、つなぎ合わせて、という作業は 面白くもあるが、今はちと辛い。
父の時は、こういう気持ちを言葉にするのに1年かかった。 オジちゃんに関しては、もう少し短期間かもしれない。 いずれ、今じゃない。
たぶん、まだ、かなり混乱している。 いわゆる「親戚筋」の中では、最も影響を受けた人だ。
そのうち、ちゃんと書かなくちゃ。
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ペケちん、ピアノ室に降臨!
椅子の脚にスリスリしているうちはよかった。
が、観葉植物に魔の手(口)が及ぶ!
ので、10分ほどでお引き取り願いましたわい。 麦っちは植物をかじらないんだけどなあ。
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アンスピ&ポロネーズグランデは、 やはり今の私には高嶺の花、それも花束であった。 1月いっぱい楽しんだところで、休眠させることに。
なーに、次の曲はもう決まっておる。 (まだ譜読みしていないけど) (譜読みした結果、諦めるかもしれないけど)
バッハのトッカータも1月いっぱい(高嶺の花その2)
ショパンエチュードのめんどくさいのと、 ドビュッシーは2月以降も継続の予定。 バッハは別の曲を物色しようっと。 だーれも知らないようなの、探してみようかな〜〜
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