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2009年07月09日(木) 腹立たしいこと(だから宗教は嫌い) / マイケル騒動はいつ終わるの? / ニュース価値はあるの? / マイケル…

友人を通じて入った損害保険を使う機会がありました。

対象は古いノートパソコンであったため、保険金額は満額でないと請求してから言われ、その値段も納得できないため保険会社に直接電話をすることにしました。間に人を挟むといいたいことが曲がって届くのを嫌ったのです。

保険会社に電話をしてみると、まず担当者の話し方がどうも癇に障ります。やる気を感じられないというか適当にあしらっている感じがするのです。そして、保険金額の算出にしても、おざなりな説明です。こちらは金額がいくらかということではなく、仕事で使うそのパソコンを如何に動く状態にするかが問題なのですが、相手は単に「中古だからいくら」という見方しかしていないのです。それが規則ですと言い切ってくれるなら納得せざるを得ませんが、検討できるならしてほしい伝えました。その前に、やる気が感じられないので、こんな提案しかできない保険なら入っている意味は無いなとも言いましたがね。

数時間後、保険会社からではなく、友人から電話が掛かってきました。そして友人の口から出てきた言葉は、まるで欠席裁判のごとくです。曰く、「俺は事情を知らないけど、保険をやめると脅して、更に金額アップをしろとごねだそうだね」という言葉に要約されるでしょう。

私はクレーマーになるつもりもないし、脅したつもりも無いと説明をしたのですが、友人の話はそこここに「お前が悪いに決まっている」という言葉がちりばめられていました。更に、そして「俺が間に入ってやっているのに、なんでごねるんだ。いくらごねたって、金額はあれが上限なんだから無駄だ。諦めて納得しろ」というのです。何度か注意をしても、「お前がクレーマーだ」という毒のある言葉がなくならないため、私は電話を切りました。

翌日、保険会社から電話が掛かってきました。「今、代理店(友人のこと)から電話があり、もとの金額で納得いただけるという話でしたが…」と言うので、話をさえぎって、「私のほうから電話を差し上げようと思っていました。私は友人との話はあまりの腹立たしさに電話を途中で切ったので、私が何を納得したというのか存じませんが、代理店を含めあなたたちが私をクレーマー扱いしていることは良くわかりました。つきましては、私は正式に貴社へクレームを挙げるつもりですので、改めて所属部署とお名前をいただけますか?」と切り出しました。

相手は部署と名前を伝えた後、「クレームを挙げるということをとめることはできませんが、そういうつもりはありませんでした」といいます。一方的に話も聞かずにヒステリーを起こすのもおかしいので「私は友人からこのように聞いています。間違い、行き違いはあるのでしょうか」と聞いたところ、「上司と相談し、言われることはもっともだということで、満額とは行かないけれど、定価の半額(最初の提示額のほぼ倍)を補償しようという話になりました。こちらから連絡をしようと思ったのですが、場合によっては直接の担当である代理店のほうから連絡をした方が話がスムースに行くこともあるため、代理店に電話したところ、そちらから電話をするということだったのでお任せしたのです」というのです。

友人は昨夜「保険会社から泣いて、とんでもない客だと言わんばかりに相談の電話があった」「保険会社は最初の提示額で一杯。それ以上は出せないと断言している」と言っているのです。まったく話が違いますね。特に、保険会社が代理店に連絡をしたときにはすでに支払える金額が変わったことを通知しているのです。それなのになぜ、友人は私にうそをついたのでしょう。

この友人、ここ何年か宗教にはまっています。私は宗教とは心の支えだと思っています。そして宗教というのはピラミッド構造であり、その頂点付近の悟りを開いたような人なら宗派に関係なくありがたい話を聞ける人徳のある人なんだろうと思えますが、底辺の奴らなどはゴミと一緒(失礼)で、自分が信心するのが精一杯で、しかも信心する意味すらはき違えている人も多いでしょう。人を諭すなんて滅相も無いという程度の輩のはずなのに、そういう輩に限って「俺は信心しているから、無宗教のお前より偉いんだ」と勘違いしたり、「自分は信心している分お前より物事をわかっている」と思い込んだりするんですよね。更には「私も誰かをこのすばらしい宗教へ勧誘しよう」となるのです。

以前にも書いた事がありますが、私が創価学会練馬支部の老人達の攻撃を受けた時(もう20年くらい前の話になるでしょうか)、その老人達が妄信的にありがたがるので、「例えばキリスト教を信じている人もそれを信じることで幸せを感じているはずです」と言うと、「創価学会は哲学的に証明された唯一の宗教なんだ。他の宗教は全て間違えているから幸せにはなれない」と言うのです。「なにがどう哲学的に証明されているのですか?」と聞いたって誰ひとり答えられはしません。ただ「偉い先生がそうおっしゃっているんだからありがたいんだよ」というのが彼らの答え。こういう人に勧誘されたとしても、その宗教の正しい姿が見えるとは思えません。また、当時住んでいた私のアパートも創価学会員の巣で、長年住み続けていたため知り合いは増え、結果、その巣に住む下層信者が成績獲得のため路上で適当に勧誘した人が、「創価学会の人に相手にしてもらえない」と私の所に押しかける事もありました。後で創価学会の人に困っていると苦言を呈すると「私たちもあの人には困っている。放って置いてください」と言われたこともあります。
宗教を信じる心を中途半端に発揮するのは、他人にとって迷惑以外の何物でもないのです。こういう下層レベルが戦争を引き起こす原動力なのは世界のどこを見ても明らかですわね。迷惑な話です。

閑話休題

この友人もそのゴミと一緒のレベルなのに、人を見下す傾向の強い奴というか、「自分がこれだけ思ってやってるのに」という感じで「〜してやっているのに」「僕は信心しているから」と考えているのです。

今回の件も、私に対しては「ボクが間に入って調整してあげているのになんでその努力を理解しないんだ」という態度ですし、「事情はよく分からないけど」と明言しておきながら、その事情を明らかにしようとすることもなく、自分の偏見で物事を決めつけています。
保険会社に対しては「ボクが間に入ったから支出は最低額ですんだよ」と鼻の穴を広げて報告して「ありがとう。やはりあなたって頼もしいのね」と言われたいということなのでしょうか…今の私にはかなり悪意があるので冷静な判断はできないかもしれません。この友人、もともとせこいことをあれこれやる性格ではありますが、宗教にはまる前はもっと付き合える奴だったんですがねぇ…

兎に角、私としては客である私に対して「〜してやっているのに」で接し、「よくわからないんだけど」と言いつつ、人の話を聴かずに自分の思いこんだことで人を判断し、更には嘘までつくような代理店とは付き合えないというのが結論ですであり、基本的には私は無宗教で、人の宗教には、私に押し付けない限り無関心というスタンスですが、残念ながら今回は無関心とは行きませんね。やはり創価学会というのは私にとってくずの集まりと思わざるを得ない出来事でした。残念なことです。

くだらない話しに長々つきあってくれた人には改めて ありがとうございました。


マイケル騒動はいつ終わるの?

いやね、タイトルだけで私が言いたいことは完結しちゃっているのですが…

6月25日にマイケル・ジャクソンさんが亡くなってから様々な特集番組やニュースがテレビを賑わしています。亡くなる2日前のリハーサルがどうだとか、今までのヒット作がどうだとか…葬儀が近づくと、葬儀はどこでやるとか、遺言がどうしたとか…それも昨日セレモニーが終わったので、これでようやく静かになるかと思ったのに、まだしつこくあれこれやっているんですね。

確かにもの凄いスターだとは思います。でも、そろそろ他のことをやって欲しい。もう飽きました。大体、マスコミって今まで(ここ10年くらい)マイケル・ジャクソンさんを悪者に仕立てることに躍起になっていたんでしょ。今更美談に仕立て上げるのってわざとらしいですよね。

ま、私はここ10年過それ以上無関心になっていたのですから、あまり人の事は言えませんけれどね。でも、テレビを見ている物として、本当もう見飽きました…


ニュース価値はあるの?

世間に疎い私の認識が間違っているのかも知れませんが…

勝野洋さんとキャシー中島さん夫婦の長女、七奈美さんがガンで亡くなったそうで、それが結構ニュースを賑わせています。

私のような芸能界に疎い者でも、勝野洋さんとキャシー中島さんは存じておりますが、失礼ながら長女は存じ上げません。特別ニュースになるような方だったんでしょうか。

今日見ていたゴシップ番組でも、キャシー中島さんのブログでは逐一娘の病状などが報告されていたが、マスコミは亡くなってからの発表で初めて知ったと言う状況であったと言っていました。そんな状況で、わざわざテレビが長女の訃報をニュースで取り上げる必要はどこにあるのでしょう。

今、テレビの必要性が問われている部分があります。以前はゴシップ記者が網を張り、それでしか捉えられなかったゴシップが、今はインターネット、ブログを通じて芸能人が独自に情報を発してしまうため、ゴシップ番組の必要性、重要性が問われているのです。

ゴシップ番組が無くなるとは思いませんが、今後ブログの需要が大きくなることはあっても、小さくなることはないと思われます。そういう中でのテレビとの共存方法をもう少し考えるべき時に来ているのではないでしょうかね。

ずっと付き添って、娘の死を見届けた夫妻に、無神経にコメントを発表してと迫る必要性がどこにあるのか私には理解できません。その気になれば、本人がブログに発表するなどするでしょう。それを静かに見守ることがこれからのマスコミには必要になるのではないでしょうかね。


マイケル…

マイケルといえば、天子さんの名前でしたっけ(違っていたらごめんなさい)

で、国によってミハエル、ミケーレ、ミカエルなどと名前は変わるのですけれど、それって、国によってはマイケル・ジャクソンではなくミハエル・ジャクソンとかになったりするんでしょうかね…綴り自体が違いますから、そんなことは無いのでしょうけれど、ミケーレなんていわれたら「ボナ・セーラ」と叫びつつ女性を追い掛け回すイメージ…とかね。

すみません。オチはありません。今日は(も)不発です。


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