The Green Hills of Earth
「えいご漬け」で遊び始めてから2週間くらい経過しました。「映画で俳優が何を言っているのかわかっちゃうんですよ。もうびっくりしたのなんの」とか「見る見るうちに英語の力がついていくのが判ります」なんて言うつもりはありません。自分が見たこともない英単語はたっぷりありますし、ネイティブらしい発音もわからないことだらけです。しかし、確かに始めた頃にはうまく聞き取れなかった「that」や「will」などに惑わされなくなってきましたし、発音も自分がそれをできるかどうかは別として、かなり聞き分けられるようにはなってきました(2週間前の自分と比べてと言う意味)。
最近任天堂はDS-LITEの増産を始めると言うニュースがありました。私にこれをプレゼントしてくれた友人が、時々かけてくる電話の中で私が「結構面白いよ」と言っていたからか、土曜日に自分の分を買ったそうです。そして昨日ケーキを手土産に私の家に遊びに来ました。持ってきたソフトは「もっと脳を鍛えるDS大人のトレーニング」と「やわらか頭塾」でした。「もっと」は少しだけゲストとしてやってみましたが、やはり「脳を鍛える〜」をやっていたとしても新鮮に楽しめる内容なんですね。その内手を出してみましょうかね。もうひとつの「やわらか〜」はそれらソフトとは違う方向からの刺激があって楽しめました。また、折角2台のDS-LITEがあるのだからと通信モードを使って対戦を楽しんでみました。競走になるだけで結構意地になるというかそれも楽しいものですね。いや、「今更そんな事を」と言う方もいらっしゃるでしょうし、「何を子供っぽい事を」とあきれる方もいらっしゃるでしょう。でもね、確かにプレイステーションなども持っては居ますけれど、それでゲームをするのは1年に1回か2回程度ですし、マリオなんちゃらもドラクエだのも殆どやったことがなく、ファイナルファンタジーなどは名前だけ知っていると胸を張っていえる私としては、20数年前(初代ファミコンの出る前)にアーケードゲームを楽しんでいた頃以来久しぶりのゲームなんですよ。まぁ確かに子供っぽいかなと言うのも否めませんけれど、ま、たまにはそういうのも良いじゃないですか。がちがちに「何歳ならこういうことをするのはおかしい」って決めちゃうことも老化のひとつとも言えそうですし、家の中で1人または友達とひっそり楽しんでいる訳ですから、ま、そっとして置いてくださいってところでしょうかね。
日本サッカー協会の川淵会長が時期日本代表監督として、ジェフ千葉監督のイビチャ・オシムさんを候補としているということらしいですね。 最初から話がずれますが、浮浪者をホームレス、無職をフリーターなどとカタカナ言葉にしてその言葉のイメージを和らげてごまかすことが流行していますが、観客・ファンをサポーターといってみたり、会長をキャプテンとカタカナ言葉を連発するサッカー協会の頭のネジも緩みすぎているのではないでしょうか。言葉をいくら変えても本質はひとつです。「くだらねーことをしてんじゃねーよ」と声を大にしてそう言いたいです。 閑話休題 一説ではジーコ監督では勝てなかったので責任を取るのが当たり前と言う考え方もあるみたいですね。ジーコさんの前はトルシエさんとか日本人監督も何人かいらっしゃいましたよね。そのどれもが結果を残せませんでした。しかし、それは監督の指導力というより選手の力不足が原因であって、今は指導者をあれこれいじって指導方法を二転三転させるより長期展望の立場でじっくり育成するのが大切なんじゃないですかね。 今の日本代表で「結果が出なかったから監督を変える」というならば、次の監督を採用する時には、小学生のサッカーチームを監督候補に指導してもらい、そのチームでJ1のチームに勝てたら指導力があると認めて監督を依頼するとしたらお眼鏡にかなう監督が現れるかもしれませんが、多分小学生チームをどんなに指導したところでJ1のチームに勝てるようにはできないでしょう。その力関係が今の日本と世界だと思えば、まず勝つことではなく、指導することに重点を置くべきなのは明白です。 阿呆で目先のことしか見えないお祭り騒ぎが好きなだけのファンは「ジーコは戦犯だ」と騒ぐかもしれませんが、私はとてもよい指導者だと思います。なぜここで変えなければならないのか甚だ疑問です。海外でプレイする日本の代表選手がワールドカップを振り返って「相手は基礎がしっかりしていた」とか「世界を感じた」などというのを見てあきれているのです。「今まで海外のチームで何を見てきたの? そんな事を今頃感じるってどれだけ無神経またはどれだけ天狗になっていたの?」とね。それが今の日本を表しているのではないでしょうか。監督が如何に名将だろうと、選手が基礎の大切さをわかっていなければ上達するチャンスはありません。そんな選手を良く指導してきたと賞賛の声はあっても、非難される事はないはずです。なぜ監督を買えちゃうんでしょうねぇ…ってジーコさんが愛想をつかしたのかな
IBMのノートパソコンX30を純正の20GBHDDから40GBに換装したのは遠い昔のことだったと思いますが、その20GBのHDDが出てきたのでデータバックアップにでも使おうかと古いHDDケースに入れてデスクトップ機につなぎました。 「さてさて、20GBっていまどきどれ位使えるんでしょ」とエクスプローラを立ち上げて、今まで撮りためた写真などを納めたフォルダのプロパティをみてみたら…そのフォルダだけで21.9GBだそうで…このフォルダひとつさえバックアップできないんですねぇ。 デスクトップ機には120GBのHDが2つ入っています。その内のひとつはテレビ録画用に使っていたので、録画していた番組を整理してしまえば結構な要領があくはずです。それに期待するしかないですね。それにしても、20GBのHDD…なんに使えばいいんでしょ。
先の「代表監督」の文中に、サッカー協会の会長を「キャプテン」と呼ばせたり、客を「サポーター」と呼ばせたりする行為が愚かで恥ずかしいことだと書いたわけですけれど、カタカナ言葉って面と向かうとバカっぽくありませんか? 例えば漫画「バリバリ伝説」の中で外国人選手の台詞も日本語で書いてあるのはいいのですが、その中で「YOU」だけはアルファベット表記だったり「ユー」とカタカナ表記だったりするのは激しく違和感を感じました。別に他の台詞は全部日本語なんだから、それも日本語にしたら良いんじゃないの。なんでそこだけ表記を変える必要があるのと不思議に思った訳ですわ。 先日(その出所が何だったのか見事に抜け落ちてしまったのですけれど多分)テレビを見ていたら、新婚の男性(または男性の新婚の頃の話?)が、「女性は配偶者のことを人に言うときは「主人」と言えばいい。でも、男性が配偶者のことをなんと言うのでしょう。「ワイフ」ですか?」と言っている場面があったのです。普通そういう所でカタカナ言葉を使うって発想になりますかね。「妻」とか「嫁」とか「連れ合い」「愚妻」なんて言葉でいいんじゃないでしょうか。ちなみに、私は「愚妻」と言う言葉は否定します。「そんな愚かな妻だったら何で結婚したの?」って言いたくなっちゃいますからね。へりくだりすぎは嫌味ですし、奥さんにも失礼でしょう。また、女性が「主人」と言うのも好きではありません。固有名詞のようになっているようですが「君はご主人様にお仕えしているの? 結婚したのではなくて、お手伝いさんになったの?」と聞きたくなっちゃいます。 はるか昔に見た自動車雑誌にも「マイカー紹介」みたいな連載企画があったのですが、マイカーという言葉も顔から火が出るほど恥ずかしい言葉に感じるのですけれど、更に投稿した人の文章に「マイワイフが」などと書かれているのをみて本当読んでいるこちらが恥ずかしくなってしまったことがあります。自分の車を紹介する企画ですからそこに出てくる自動車は断りがなければ自分の所有する自動車でしょう。わざわざ「マイカー」などと言う必要があるとは思えません。それだけでも「アホかこいつは」と思うのに、それに加えて更に恥ずかしい「ワイフ」なんて言葉も繰り出して、更に更にそれにいちいち「マイ」をつけて必要も無いのに「私の妻」であることを宣言するってどうよ。こんな言葉を並べ立てている文章を見ていると「心底頭悪そう」と思ってしまうのは私だけでしょうかねぇ。 自分専用のボーリングの玉を作ったと言う話題で「俺さ、マイボール作っちゃった」とか「えー!○△さん、マイボール作ったの?」なんて台詞を聞くことがあります(実話)。そこに「マイ」をつける理由って何なんですかね。 「ワイフ」などと言うより「妻」と言った方がわかりやすいですし、「マイカー」などといわなくても「うちの車がね」といえば済むことでしょう。更に「マイボールが」なんて表現おかしくないですか。 兎にも角にも「カタカナ言葉」を連発するのって日本語としてどうよと私は思ってしまうのですけれど、皆様におかれましては如何なものでしょうか。
普段愛用しているノートパソコンを壊してしまったので、デスクトップ機を使っている訳ですけれど… デスクトップで良いなぁと思うこと 翻ってデスクトップの悪いところ さて、マウス嫌いって言うことですが、私の周辺でノートパソコンを使う人は多いのですが、その多くの人がノートパソコンにマウスをつけて使っていらっしゃいます。私にしてみれば「なんで?」と言う行為です。 ノートパソコンには名称は様々ですが、キーボードの周辺にポインティングディバイスが付いているはずです。私はタッチタイプができるからよりそう思うのでしょうけれど、手をホームポジションに置けば全てのキーは意識することなくタイプすることができるのです。そのとき、できるだけ手をホームポジションから離すことなく操作ができるポインティングデバイスはとても使いやすくて便利なものです。それなのに、わざわざ手を完全にキーボードから離して操作しなければならないマウスは私にとってはとても使いにくいものです。タッチタイプができないにしても、自分なりの癖でそれなりにキーを速く叩く人は結構多くいらっしゃいますよね。その人たちにとってはキーボードから手を離すって苦痛じゃないのかな。その辺りが不思議です。←バカにしているのではなく、自分とは異質なので分からないと言う純粋な意味です。 そう思っているものですから、ノートパソコンにマウスを使うと言う発想が私にはありません。そしてデスクトップ機になった今、マウスを持つことが面倒で仕方ないのですよ。ですからレノボの31P9514というキーボードが欲しいなと思ってしまうのです。これならトラックポイントとトラックパッドが付いていますし、もともとIBMのキーボードは打ちやすいので定評がありますからね。しかし、PFUのキーボードを使っている今、これを捨てて新しいキーボードを買うと言う選択肢も無駄な気がします。仕方がないのでマウスはできるだけ手になじむ形のものを(結構高かったんですけれど)かってごまかしている次第です。 あ、そうそう、もうひとつデスクトップにして困ったことがありました。それは先日買ったWACOMのペンタブレットが困ったことになってしまったのです。今まで使っていたペンタブレットは葉書程度のサイズだったのですが、買い換えるにあたって一回り大きなものにしました。ワイド画面対応と言うものもあったのでそちらにしようかと悩んだのですけれど、それは結構値段が高かったので今回は諦めたのです。が、それが失敗だったかもしれません。私のデスクトップ環境はマルチモニタです。17インチのCRTモニタ(1280×1024)と15インチの液晶モニタ(1024×768)を横に並べているのですが、ペンタブレットをつなぐと、その二つの画面を合わせた領域がペンタブレットの有効範囲になってしまうのです。ですから、一回り大きなペンタブレットを買ったはずなのに、実際に絵を書くときに使用するペンタブレットの有効なエリアは以前のものより狭く小さくなってしまいました。更に画面がタブレットより横長なので縦横比が変わっているので、シングルモニタの状態で書きなれた私には、まともな線を引けない状態になってしまっているのです。確かワイド画面対応のものなら、その辺りの範囲設定ができたのではないでしょうか…絵を描くときだけシングルモニタにする必要があるでしょうか。まぁ特殊と言えば特殊な環境ではありますが、デスクトップになって不便と感じたことでした。これは速く解決しなければなりませんね。
デスクトップになって良かったこと「画面が広い」なんて書いたのは何時間前だったでしょう… パソコンを再起動したらCRTモニタがうまく表示されません。どうも寿命を迎えてしまったみたいです。もう一台、ハーマン/カードンのスピーカと共にパソコン一式を引き取った時についてきた20インチCRTモニタもあるのですけれど、果たしてそれを出して良いものやら…大きさが桁違いに違うんですよ。暫くは液晶モニタ1台で我慢しますかね。その方がタブレットも普通に使えるし…それにしても、「貧乏人のもの程よく壊れる」これは格言といっても良いのではないでしょうか。はぁ(ため息) リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |