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2006年02月11日(土) エンゼルス / オリンピコ…

アメリカの野球チーム「アナハイム・エンゼルス」が昨年1月にチーム名を「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」に変更した事で、市側は観光収入などが減ったと主張し、球団名変更の撤回を求めた裁判で、カリフォルニア州は「違法性はない」という判断を下したそうです。

別にこのニュース自体は「ふーん」と言う程度の興味しかないのですが、「Los-Angels-Angels-of-Anaheim」と「Angels」が2つ続くのってなんか変じゃありません?
地名の「Los Angels」、Losはスペイン語での男性定冠詞で、Anglesは英語での天使の複数形で、地名の由来は、元々「エル・プエブロ・デ・ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・アンヘレス(天使の女王の町)」という名前のメキシコ領だったのですが、アメリカが「カリフォルニアが欲しいはないちもんめ」とメキシコに戦争を仕掛けて分捕った時、その「ロス・アンヘレス((男の)天使達)」をそのまま「ロス・エンゼルス」にしたんですね。でも、「ロス」がそのまま残ったのはなぜでしょうね。語呂の問題なんでしょうか。兎に角そう言うチームの名前としての「Angels」と地名としての「Angels」で、地名の方は定冠詞(スペイン語の)の「ロス」と融合して1つの言葉となっているようですから別物と言えば別物なんでしょうけれど、文字にしてみると違和感を感じてしまった訳です。

それにしても、あちらの地名とか名前っておもしろいなぁと思います。「天使の町の天使達」ってチーム名なんですか? 日本の地名もきちんと意味のある名前でしょう(「鉄砲町」とか「鍛冶屋町」とか「木場」とか…)けど、チーム名とかぶる町名って想像が付かないですね。でもそれは、ふだん馴染みのない言葉でカタカナ言葉として何でも受け入れてしまう言葉なのか、普段から馴染みのある漢字言葉としての言葉なのかの違いなんでしょうね。

因みに「アナハイム(Anaheim)」の言葉の由来は、この地に最初に入植し町を作ったのがドイツ人で、町の中を流れる「SantaAna(サンタアナ)」川の「Ana」とドイツ語で「家庭」を表す「heim(はいむ)」から名付けられているそうで、日本だと差詰め「セキスイハイム」みたいなものでしょうか←違うかも…違うよね…


オリンピコ…

トリノオリンピックが始まったようです。
リビングの床にテレビを付けっぱなしで寝てしまって、所々寝ぼけ眼で開会式を見たような気がしますが、実は余り記憶がありません。生中継が終わったあとのニュースで見たと言った方が正しいでしょう。

私としては、高校野球の開会式のようにすっきりさっぱり単純なもの…選手入場があって、聖火の点火があって、選手宣誓があっておしまい…そんなので良いと思うのですが、毎年凝りに凝った訳の分からない演出家のお遊戯にもの凄い時間が掛かって、残念ながら私にはそれがなんだか良く分からないし、楽しいとも凄いとも思えないし、中に入り込めないので本当つまらないセレモニーになっています。特に今回の聖火なんかは、折角ギリシアのオリンピアで聖火として火を付けて、それを隣のイタリアに運ぶのをわざわざ遠回りして運んできたのに、結局最後は運んできた火で聖火台の火を付けたようには見えなかったんですけど…本来アマチュアスポーツの祭典と言う事であった筈なのに、アメリカさんの商業主義に乗っ取られて演出がどんどん陳腐化していくのが痛いです。あの開会式を凄く楽しかったという人も多いのでしょうから、まぁ楽しめない自分が悪いんでしょうけれどね。

それにしても、ニュース番組などでオリンピックの取材でトリノに赴いているアナウンサーが「ボンジョルノ」とか「アリデベルチ」なんてわざわざカタカナで挨拶をする必要ってなにかあるんですかね(それもNHKでですよ)。「アホちゃう?」と思ってしまうんですけれど…タイトルまで「オリンピック」じゃなくてわざわざ「オリンピコ」ですよ。はぁ…

これからの競技を前に、テレビでは各選手の競技前の意気込みを流していたりします。
「兎に角試合を楽しんできます」なんて言う台詞を聞いて「国の代表なんだから、楽しむなんてもってのほか。真剣にやってこい。惨敗したら日本に帰ってこられると思うな」なんて言う勢いの人もいますし「兎に角リラックスしなければ実力派でないんだし、楽しむ事が一番でしょ」という人もいます。
実力さえきちんと出せばメダルを取れるかもという人が「楽しんできます」と言うと「頑張って」と思えますが、ブービー賞を争うような人がその台詞を言ったら「てやんでぃ べらんめぇ」となってしまうのでしょうか。でも、考えようによっては確かにその参加者のなかでは一番悪い成績しか残せないとしても、参加したくても成績が足りずに出られない選手(国)があるのですから、この参加する事ができた選手はその順位に関係なく「出た事」に意義を見いだせるんじゃないかと思うのです。それはその国がもっと上位に上がるための礎になる出場であるとも言えるでしょう。確かに「メダルを取る事」と「ただ参加しただけの着外」では雲泥の差があるように思えますが、視点を変えればどれも本当に意義がある事だと思えるはずです。どの選手にも折角参加したのですから、悔いの残らないよう実力を発揮して欲しいと思います。


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