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2005年08月29日(月) 川辺川ダム

国土交通省が熊本県に計画している川辺川ダム建設問題で、同省が申請していた県収用委員会の審理が始まりました。が、同省は収用委員会から求められていた新利水計画を反映したダム変更計画を示せていないため、このまま審理が終結した場合、申請は却下されダム計画が頓挫する事になります。

乱暴な言い方をします。日本の地方に巣食う議員はハイエナです。北海道で懲りもせず新党を立ち上げて議員に戻ろうとしている推定犯罪者などが良い例です。あれは国会議員と少し大きめですが、地方議員などは、自分で仕事を決めて、その仕事を自分の関係する会社に請け負わせて金を搾り取る仕組みを牛耳っているのが多いのです。そしてその親玉である国会議員と、それに頼まれて、袖の下をもらって、無駄な工事を合法的にしてしまう省庁の役人が組んで、日本は無駄な利水工事、治水工事の天国になっていたんです。いや、なっているんです。
どうか興味のある人はダム年鑑と言う本を買ってみてください。この狭い日本でどれだけのダムが計画されているか。そしてその内何割が何の役にも立たない、単に雇用を生むためだけのダムなのか…
自然なんてあっても金にならない。そんなものは壊して金になる工事をしろ。それで災害が起こったらまた金になるから良い事ずくめだ。というのがそれらの人たちの考えです。議員にしてみれば、出稼ぎに行かないと生活費も稼げないような過疎の町に無駄な工事を持ってきて、それで「あなたたちが出稼ぎに行かなくても良いように、工事を引っ張ってきました」と言えばもう神様です。そんな理由で工事は行われます。そういう事が公になり始めたのが長良川河口堰工事の頃でした。結局、あの工事の悶着で、建設省は「川は建設省のもので、建設省が白といったら白なんだ。俺たちが世の中を動かしているんだから、俺たちが決めたことに反対するとはけしからん。絶対にプライドにかけても反対は潰す。意見が正しいかどうかなんて二の次だ!」と言う理論しか持っていない低脳集団だという事が暴露されてしまった訳ですよ。ええ、彼らの名誉のために言っておけば、水資源開発公団や建設省の役人の中にも何人かはまともな尊敬できる人がいます。でも、そういう人たちは出世街道からは外れているようで、結局常識のない人たちが出世していけるという不思議な世界のようです。

兎に角、役人や議員などが揃って虚栄心と自分の懐の為に工事を決めていくので、日本の自然環境はどんどん駄目になるし、山は保水力をなくし、川はあふれやすくなり、最近の災害の多くは人災といっても良いんじゃないかと思えるくらいです。
反対派の意見の声が大きくなってきたけれど、まだ何とか役所のプライドが勝って、無駄な工事は中止されないことが多かったんです。小さな工事では見直しなどが決まった例もありますが、この川辺川ダムはかなり大きな計画だっただけに、中止になることはとても大きな意味があります。特に、役所が最初は「農業用水の確保」の利水目的としてダム建設計画をでっち上げたのに、行政訴訟で「国の集めた同意数は必要数を満たしていない」と認められず、別の利水計画などをでっち上げようとしていたのですが、良い案が浮かばないまま今日に至ってしまったという事です。
この川辺川ダムの計画で、五木の子守唄の五木村や自然の残る優良河川が潰れる筈だっただけに、本当この計画が中止になれば自然愛護派は大きな一歩を踏み出したと言えるんじゃないでしょうかね。腐った役所のくだらないプライドで、自然が破壊されていくのは本当に許されるべきことではありません。省庁とは100年の計を念頭に置いて、景気に左右されず長い目で計画を立てて実践していくべきところです。しかし、彼らは目先の利益に踊らされ、全く日本の将来を憂えるという気概がありません。だとしたら省庁は存在意義がないのです。それこそ国土交通省も解体し民営化すれば良いのではないでしょうかと言いたくなります。

兎に角、くだらない虚栄心をプライドと履き違えた阿呆な役人どもが敗北を喫した記念すべき日となる事を祈っています。




私はどうもダム建設などの話になると理性が飛んでしまいます。
彼らの名誉のためにもう一度書いておきますが、本当の阿呆はそんなに多くありません…いや、阿呆じゃない人は少なくありません。阿呆の数は把握できませんから。一緒に仕事をして感心させられることが多かった人はかなりいました。でも、役所全体で見ると、それが集団のヒステリーなのか集団と支店のダイナミズムと言うものなのかは分かりませんが、兎にも角にも、個人ではすばらしい人が多いのに、役人と言う塊になるとどうしようもない理不尽な理屈がまかり通る土壌ができていたのを実感しています。

兎に角、「農民の分際でお上に逆らうとはけしからん。切り捨ててやる」といわんばかりの役所の態度に、今回の判決が一石を投じる結果になればと思います。もう結果はでているはずなのですが、怖くて見られません。ですからもしかして頓珍漢なことを書いてしまっているかもしれません。これを書き始めたのは昼頃で、今は23時。何度も書き直して、感情的な部分を削って削って削って…そんな苦労をした文章です。

これらの役人はちょっとでも災害があると「災害を防ぐため」とダムや堰を作りたがります。「そんな災害何年も起きていない」というと「何十年に一回の大災害を防止するため」と良い、何十年も起きていないといえば「何百年に一回の…」といいます。しかし、本当に必要なものは少ないのです。ダムをつくるより山を整備して山の保水力を持たせるべきなんです。無駄なダムを壊して、無駄な護岸壁を壊して地下に水が浸透するようにすべきなのです。無駄な工事をするから無駄な災害が増える。それを災害が起きたから工事をするとすり替えていることに気付いて欲しいものです。どうか、この狭い日本を少しでも住みやすくする為、役所の工事にはもっと興味を持って目を光らせて欲しい。そう願ってやみません。

結果を見られないと良いつつ見てしまいました。結局案は出ず「取り下げを勧告した」という事のようです。
これについて…
国交省の宮田年耕・九州地方整備局長は「球磨川流域の治水上の必要性、緊急性から川辺川ダムは一日も早く完成させる必要がある。関係者と調整し最善の対応を検討したい」と、あくまでダム建設を続ける意向を示した。(毎日新聞より抜粋)
と言う意見があったとかかれて居ますが、計画から39年経過して着工すらしていないダムのどこに「緊急性」や「必要性」があるというのでしょう。
こういう実情とそぐわない意見を恥とも思わず言い切れるその面の皮の厚さがないと勤まらない職業なんでしょうねぇ…本当大変な仕事だと思います。


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