The Green Hills of Earth
そうそう、自転車へのサイクルコンピュータの取り付けは一昨日無事終了しました。 取り付けて早速試してみたのですが、体感している速度ほどに速度が上がっていないのです。そこでタイヤの外寸を計り直したり、車の後を付いてスピードを確認してみたりしましたが大体あっているようです。うーん…結局はこの太いタイヤが走行抵抗になっている事と、もう一つはリア側のギアの歯数が私には合っていないと言う事なんでしょう。もっとクロスしたギア比が欲しいのですが、これはかなりワイドな設定になって居るんですよ。ですから本来9段あるのですが、実際には6段くらいしか実用になりません。まぁもっと坂道が出てきたらこれで重宝する事もあるんでしょうかねぇ…これを選ぶ時、久しぶりの自転車なので、最初はギアなどに文句を言わないつもりでこれを選びました。ある程度からだができてきたら自分の好みに近づけるつもりですが、今はまだその辛さに自転車を捨ててしまう可能性もある訳ですから、まずはあるものに体を合わせます。取り敢えずこの自転車なら25km/h位で走り続ける事ができそうです。後は自分の体力、脚力次第です。
今年のGWは10連休にする会社も多いらしいですね。確かに2日と6日を休みにすれば4月29日から5月8日まで休みになってしまいますものねぇ。 今からウン十年前、私が会社に就職したての頃、研修の一環として「万年カレンダー」の作成という課題に取り組んでいました。たしか使った言語はFORTRANだったと思います。ええ、FORTRANを使ったのは後にも先にもこの研修の時だけでしたねぇ。今のパソコンと違って、プログラムをコーディング用紙に書いて、それを紙カードにパンチして、それを読み込ませて結果は印刷物として得る。そんな手間を掛けるものでしたので「ちょっと試して…」なんてできないんですよ。そりゃ思い込んで間違いはたくさん発生してしまうものですが、それでもできる限り机上でプログラムを追ってあれこれ条件を検討して計算して、それで漸くパンチに入るんです。 作ったプログラムができると、まずは自分の生まれた年のカレンダを出力して、自分が何曜日に生まれたのか、そして他の人のも出して悦に入るんですね。そして次には祝祭日にマークを入れる事を画策します。ところが春分の日と秋分の日は固定じゃないんです。それをわざわざ気象台に電話して問い合わせてみたり…そして、それらが一段落すると、今度はこれから何十年のGWを印刷して「おお、この年は寂しいGWだな。殆ど連休にならないぞ」とか「おぉ、この年は凄い連休になるじゃん」なんて未来に期待を寄せていたんですよ。たしかその当時2005年も見ていたと思います。遙か遠い未来だけど、この時のGWは期待できるって。でもね、実際には我々小さなソフトハウスの使い捨ての兵隊は、GWになると仕事で入っている大企業の社員さん達から「GW、コンピュータは空いてますから、どうぞ思い切り仕事してください。ええ、私たちは休みますけれどね。え、私?ええ、ハワイに家族と…エヘヘヘ」なんて言われて連休を楽しむなんて贅沢はほとんどできなかったんですよね。年末年始とGW、盆休みは他に邪魔されず仕事ができる貴重な時間だったんです。そしてGWが空けると「害虫駆除のため○月○日(日)は出勤しないでください」って回覧が回ってきて、私たち外注は「駆除されるんですか?」って笑いながら言っていたものでした。 あれからもう何十年…「遙か遠い未来の事」が今ここにやってきて居るんですねぇ。歳を取ったと実感しました。
先日この事故について書いてから、更に新たな事実が分かってきたようです。(link)
そして、今の時点でテレビなどはおもしろおかしく遺族を取材し、悲しみの声などを垂れ流して、JRの対応の悪さをクローズアップしようとしています。ホリエモンが一段落したので、次の悪者として標的をロックオンしたようですね。 確かに、分かった事実などから「素人」が測できる様々な状況ではJR西日本が悪いし、改善しなければならないところもあるでしょう。そして遺族や被害者に対して対応が遅い等と言いたくなる事もあるかもしれません。しかし、そう言う事を言う行為は「野次馬」でしかないと思います。ここでもう一度書きますが、その日の朝まで生きていた家族、友人が事故で突然帰らぬ人となって悲しくない人は基本的にまず居ないでしょう。普通は悲しいはずです。老衰で死んだとか、本人の不注意で死んだとしても悲しみはあるのに、事故でとなればその悲しみは怒りを伴うでしょう。そして「死んだ人間を返せ」という気持ちになります。それは当然の感情です。が、絶対に叶えられない希望です。では、どうしたらいいのかといえば、二度と事故が起こらないよう原因を究明して対策を練ると言う事です。 確かに被害者、遺族の感情を逆撫でするのは得策ではありませんが、まずは原因を究明する事が一番ですし、我々を含む野次馬に対する説明などは本当は一番最後に回して良いのです。 私がコンサルティングを生業としていた時にやはり大きな問題がありました。直接人の命が掛かっていた訳ではありませんが、それでも1つの失敗がいくつかの会社を倒産に追い込んだこともあるかもしれません。ある企画を実行した時、それがうまくいかないと言う事が判りました。ここで言う「野次馬」「素人」のやり方でやれば、「どうしてそんな失敗をしたんだ」「そんな事は素人でも判る」となじられて、その対応をしているだけで何の解決もできず終わりになるでしょう。私たちは「今の状況は○□※です」とまず先方責任者に事実を伝え「お叱りは後で。まず、対応は…」と提案をし、片方で原因を究明しつつ、片方でそのできる限り失敗を埋められるよう対応をしていきます。そして、事が一段落してから報告書(場合によっては始末書)を持って原因を報告し再発しないよう対策を取りましたと報告を持って終らせる訳です。 もう一度書きますが、遺族、被害者の気持ちを蔑ろにしても良いとは思いません。しかし、今やるべき事は死者を生き返らせる努力ではなく、事故の原因を究明して再発をさせない事なのです。その原因がスピードアップ競争と過密ダイヤにあるのならそれを改善すべきだし、必要ならそう言う指示をした責任者を訴えれば良い。旧式のATSだったのが悪いなら、その節備考心を怠ってきた事を訴えればいいし、そんな線路脇にマンションを建てたのが悪いならそれを訴えれば…まずは、原因を究明する事です。 遺族や野次馬はミクロな視点から粗を探しますが、JR西日本に求められているのはマクロな視点から事件を解決する事なのです。 原因が定かでない時点で、全く無責任な立場で勝手に原因を推測して「小学生でも判る」だの「誰でもが判っていた事だ」だのと騒ぎ立てるのは「とても愚かで無責任な事」だと私は思います。 この地域の鉄道利用者が阪急や阪神と比べどれを利用するかを決めるのは、1つは利便性ですけれど、もう1つは速さでしょう。ニュースでは「阪急は安全のため、30分を目処に速度競争から手を引いたが、JR西日本は24分で運行していた」とあります。それを判っていてなぜ利用者は「危険な」JR西日本を利用し続けたのでしょう。そこに需要があるから供給もあった訳で、だから危険を無視しても良いと言う理由には絶対になり得ませんが、「小学生でも判る事」であったとしたらなぜ利用者はそれでもJR西日本を利用し続けたのでしょう?「小学生でも…」とはあまりにも無責任な言動ではないでしょうか。 野球で一野次馬が監督のかわりに采配をふるう事があり得ないように、この事故調査が野次馬で好転する事はあり得ません。 「野次馬はもう結構。原因が分かるまで野次馬根性はやめて静観しようよ」と私は声を大にして言いたいのです。
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