The Green Hills of Earth
世の中には様々な考え方があって、自分に理解できない事もあると言うのは重々理解していますが、目の前で理解できない事が起きると呆然としたり、怒ったり、逃げ出したりする訳です。自分と同じ考えの人ばかりでは世の中が成り立たないし、理解できない人がいるのが面白いとは言え、どうしてそんな考えにいたるのかなと不思議に思うと同時に、その考え方に不愉快を感じつつ、そう思う自分にそれは危険な考え方だと諌める自分がいる訳です。なにか訳の分からない言い方になってしまいましたね。
私はインターネットブラウザおよびメールソフトとしてNetscape7.1を利用しています。IEとOutLoockExpressなどのようなMicrosoftのソフトを出来るだけ使いたくない、いつもセキュリティの心配をして痛くないと言う大義名分もありますが、実際にはまぁβ党(死語?)の意地みたいなものって訳じゃないんですが、もともとMacでこちらを使い始めたのが最初だったので、Windowsに乗り換えた今もこちらを使い続けていると言うのが正解でしょう。 ところが、IEのエンジンを使ったソフトみたいなのが結構あって、これを使うためにはIE4以上が必要ですなんて書いてあるものも結構ありますし、そういうソフト以前に、私がこの雑記を書き始めた頃にも書いたことですが(link)、IEでなければ正しく表示されないテキストページと言うものも(最近はSafariじゃないと正しく表示されないと言うのも)あり、テキストを読んでもらうためのページのはずなのに、見るブラウザを限定すると言うのは如何なものかなと今も疑問に思います。他のブラウザでは見えないと言うのは、本来プラットフォームを選ばずに同様の表現が出来ると謳ったHTMLに勝手な拡張を加えたり、それぞれが違うヴァージョンをサポートしたりと言う事からなのですが、それでも、基本的な部分は一緒ですから、凝ったデザインを目指さなければ、どのブラウザだって見えるものが簡単にできるんですよね。テキストを見てもらうのが目的なのか、テキストを見てもらう以上にセンスの良いページであることをしらしめるのが先か、その辺りは製作者の主観に任せるしかない訳ですけれどね。 今年の4月に引っ越したエンピツも編集画面でのタグの挿入などはNetscapeでは正しく動きませんので、泣く泣くIEを起動して作成をしているのですけれど、エンピツでもう一つ致命的ではないけれど困ったことがあるんです。うーん、致命的といえば致命的なのかな。つまりですね、「マイエンピツ」の設定を「利用する」にして保存しても、なぜかその設定自身が保存されないのですよ。CookieだのCacheだのJavascriptなどは有効にしているのですがねぇ。折角ですからマイエンピツとかも使ってみたいのですが、そんな理由でパソコンを起動するたびに舞いエンピツの設定をするのは億劫なので時々必要に応じて利用させていただいている次第です。ソフト屋なんだからそれくらい調べたらよかろーもん供思うんですけれど、そこまでの意欲がないんですよね。なかったらなかったで良いや…あぁイライラする。自分にね。
先日テレビで、アテネオリンピックで金メダルを取った女子柔道選手の事を短い時間ではありましたが紹介しておりました。残念なことにそれが誰の事なのか名前を覚えていないのですが、多分「北海道出身」と言う事で検索すると、多分「上野雅恵」と言う事になるのでしょうね。確か70kg級と言っていたような記憶もありますし。 その番組では前回のシドニーオリンピックにも参加したけれど、外国選手の力に負け、帰国後腕力の強化に励んだ結果が今回の優勝につながったと言う美談風の話に仕上げられておりました。 しかし、本当にそうなんでしょうか。本来の柔道とは「柔よく剛を制す」であり、本来無差別級しかないものではないでしょうか、つまり国内なら谷亮子と阿武教子やこの上野雅恵が普通に戦う。そして有効だの効果だのと言う点数制度ではなく、基本的に技ありか一本の優劣で決めると言う試合が本来でしょう。柔道は相手の力を利用して技をかけるものであり、腕力で勝負をするのなら柔道である必要はないのです。腕力をつけて優勝を勝ち取ったのであれば、それはどこかが間違っているように思えてなりません。 谷亮子の試合は…というより軽量選手の試合はそれなりに技を鍛えている感じがしますが、重量級は悪く言えば「デブダンス」と見られる可能性もあるでしょう。動きが鈍いから腕力で吊り上げることになってしまうのでしょうか。私はそれは違うと思うのです。どの階級であれ機敏に動けなければそれは柔道とはいえないでしょう。果たして腕力に頼った選手たちはデブダンスを踊ったのか柔道をしたのかどちらだったのでしょうね。 私は以前から「神聖な道場」などと表現を恥かしげもなく使う人に対して、「神聖な道場」とは「不浄な女性」を排除したものであり、女子柔道というカテゴリが出来た時点で「神聖」とはいえないだろうと言っております。そして今の柔道が見ていてつまらないのは、柔道をする人の精神が地に堕ちて武道「でも」なくなってしまったことであると思っているのです。その表れが、一つは技の点数制化であり、試合中に点数計算をして逃げ腰になっている姿が美しいはずがないと言う事であり、もうひとつが、勝った選手が相手への礼を忘れて自分の喜びに浸るあの醜い姿に表れているのではないかと思うのです。ご存知の方も多いと思いますが、剣道では一本を取った喜びにガッツポーズをしただけでその一本が取り消されるのです。相手への礼を忘れたと言う理由でです。相手と戦いをするけれども、その戦いは自分との戦いであり、相手への礼を忘れてはならない。それが東洋的な思想ではないですか。西洋人に東洋思想を(そう括ってしまうのも危険ではありますが)理解できるかどうかは疑問ですが、日本のスポーツを西洋の都合に合わせてルールを改正するのも如何と思いますが、少なくとも日本人が礼の心を忘れて「ただ勝てば良い」という精神になっていることに柔道のつまらなさが現れているように思います。 奇麗事を言っても勝てなければ何にもならないというのも正しいでしょう。しかし、日本人として柔道に対する考え方が本当にそれでいいのだろうか。私はオリンピックの試合を見ていてそう感じ、先の腕力で優勝と言う番組を見てその疑問が更に膨らんでしまった次第。ちょっと時期はずれな話題で申し訳ないと思いますけれど、皆様におかれましてはどうお考えになるでしょうか。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |