もしもその人の異変に気付いていて
それでも当人に確認することが出来なくて
事後にそれを知らされて
後悔したとする。
例えば癌でもいい。末期。
助からぬと知りながら接することと
知らずに普段通り接すること。
当人が最後まで日常でありたいと
願っているかどうかはともかくとして
残された者はどう感じるのだろうか?
何も知ることなく接することは罪ではないし
場合によってはそれのほうがいいかもしれない。
と、中学くらいのとき…仮に親友がいたとする
何気なくいつもどおり振舞っていて
いつもどおり遊んだあとに
突然明日から転校することになった、とか。
親友であるにもかかわらず言ってもらえなかった。
そのときのどう感じるのか。
対象が肉親であるならば尚更。
知らなくていいこともある。
知っていても知らなくても後悔することはある。
多分そうなんだと思う。
ないものねだり、どちらについても後悔することはある。
結局人生の4割は後悔、3割満足、3割は分からない。
…あまーいブドウばっかり食べてたら
林檎を甘いと感じることもないだろう。
人間、なれちゃう生きものだから。
良くも悪くも。
すべてにおいて。
どんなことでも思い出としてとらえられるようになる。
そう思いたい。
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