1日雑記

2001年11月01日(木) 解釈

んー…人って愚かでしょうか?ってはなし。
いや、そんなに重い話じゃなくて。

つまり詩や短歌、抽象画とかいうものがどういう意味を持つのか、と。
例えば、何かを伝える手段として存在するなら
これほど愚かなものはなんだよ。
わざわざ制限つけたり、分かりにくくするんだもん。
だから愚かなのかなーっと。
短くしなくたって長々と書いたり、
写実画を書けば問題ないでしょ?

考え方変えればそうとばかりもいえないんだけどね。
何かを伝えるとき、直接的に伝えにくいときは
例をあげて説明することが良くある。
全体的なものを例から汲み取ってもらおうとるす方法。
もっとも、この方法の欠点は
個人により、感じ方が微妙に違うってことかな。

それに写真の存在により、写実画の存在意義は少し薄れてしまったから…。
それによって評価されるのは個人の能力であって
絵の場所、そのものではなくなってきてしまったのではないかと。

ちなみに写真自体も写実的、と言う面から言うと最近はね…。
フィルムに写っている物すべてを現像できてるわけではないと聞く。
ほんとかどうかは知らないが。
写っているものも現像の過程で消えてしまうとか。
そこに来てコンピュータを使うと、全部ほとんど再現できるとか。
だから写実的、と言う面から言うとね。

とりあえずは、では何故詩や、短歌や、抽象画があるのだろうね?
…詩や短歌に鍵って言えば
音(リズム)かな。
例えば、これは小学校くらいだったかなぁ?国語の教科書。
「ケルルンクックー、ケルルンクックー」
という詩の一節だったかな?
鳩の鳴き声。
文章(?)で書くと
「鳩がケルルンクックーと鳴いていた」
…リズムを考えると詩のほうがいいよね?
ここで鳩について書こうとすると、
電線の上で、とか何十羽が一編に、とか色々つけられるとは思うけど…
音によるイメージの拡張みたいなことができるんじゃないかと。
ただ、ないている、とか言われるよりも
泣き声のリズムを読者に与えたほうが、自分の中に作るイメージが
綺麗にできるんではないか、と。

短歌も同様。
表現や、伝えたいことの中に、リズムを組み込んで
全体的に受け入れやすくする。
だらだらと長すぎるのも良くないって言う観点から言うと、
短歌って言うのは極端だけど、短いよね。
当然表現できることも少なくなる。
そのせいもあり、先人たちは色々な単語を編み出したわけだけど。
もっとも、更にその所為で後世の人たちの解釈が
色々と分かれることになるんだけど。

抽象画はどうなんだろうね?
上で言ったみたいに例えの中から伝えたいことを見つけてもらう、
そういったニュアンスなのかね?
これについては分かりません。
文章なら、まだ直接的に伝わることがあるけど
抽象画でさっぱりなのは本当にさっぱり分からないし。
どう解釈したものかなぁ?


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