| 2001年09月28日(金) |
書くねたがないぞっ!? |
例えば学食で食べるとき。 割り箸を使うところが多い。 お隣の大学では普通の箸も置いてあるのだが。 割り箸と普通の箸の二者択一。 割り箸でないほうが自然にはよい。 もっとも、うちの大学でも カレーばかり食べてる人は 割り箸を使うことはないのだが。 もっともカレーばかりを食べるのも飽きるが。
例えば医療関係の話。 この前のニュースでやっていた。 リサイクルの話。 シーツやら、毛布やら。 現状はかなり厳しいらしい。 特に中国などからの安い輸入製品が痛いようだ。 自然にはリサイクル製品を使ったほうがよいことを知りながらも 経営の状態などから安いほうを選ぶ。
例えば戦争。 誰もが嫌がっているのに 自分本位の正義のために戦う。 もしくは報復のために。 誰かが戦争は破壊活動でしかないと。
結局はみんな同じ穴のムジナなのではないのかなぁ? 破壊の観点に立ち規模の割合から言えば 毎日の割り箸だって相当なものだ。 結局先進国になって、発展途上国に何を言っても、 例え温暖化に関する何かを言ったとしても やってることはやってるんだよね。 よくないことを知りながらも 結局毎日の中で実践することはない。 そんな生活。 例えば水が出しっぱなしだったりね。 ある面では確信犯であり。 リサイクルのほうがまだよいと知っていても。
結局戦争は何も生まない。 悲しみや憎悪はともかくとして、物理的には。 平気の生産により、一部産業は栄えるかも、が、結局は。
自然破壊は人間の性(さが)なのだろうか? 生きるためには。 結局その言葉に正当化されたものであるのか?
そこまで悲観的にならないまでも 事実は変わらない。
今、自分のいるところがどこであるのか? 平和ぼけした中のところ。 そのなかでこういう事が考えられること。 ならばそのなかでできること。
俺は何者なんだろう? 何か意味を持つのだろうか? いや、生きたことに対して意味をもたせられるのか?
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