一体今日、どれだけの人がこの話について書くのだろう? アメリカ、連続同時テロ。
個人的な感情、感想は置いておこうかな。 とりあえずアレをみてどう思うか? 犯人に対する気持ちは?
その気持ちはかつての日本にも感じて然るべきものではないかと。
…いわゆる「カミカゼ」です。 戦時中、ゼロセンによるトッコウ。
これと今回のことを混同するに置いて問題があるとすれば 民間人を巻き込んだということか? 例えば誰かが明確にテロと戦争の違いをのべるのなら…。
犯人たちのとった行動は唾棄すべきものだし、 許す許さないなんて論ずる方が馬鹿らしい。
犯人たちはどのような意思の元、トッコウしたのだろうか? 笑って逝ったのか恐怖で顔を引きつらせながら逝ったのか? 飛行機がぶつかる映像を何度か見たが 飛行機をまげてまで最後にぶつかりにいったことから 錯乱はしていなかった、とおもう。なんとなく。 まぁ、死に対する恐怖はおそらく、 (経験したことがないのではっきりとは言いたくない) 直前までは感じないとは思うけどね。
物事の踏ん切り同様、 「これだけっ」って言う風に 体を動かしてしまえばどうにでもいくとは思いますが。
結局民間人を巻き込んだわけですが、 言いたいのは、かつて、カミカゼといわれ 死んでいった人の多くは 徴兵により、強制的に連れて行かれた人がほとんど…だとおもう。
それは民間人とどのよな違いがあるのか…。
当時、どのような教育に教育されていたのか、 教育は…おそらくは生活の根底となるものだろうし、 言うなればマインドコントロール…かな? 良くも悪くも。 …敬う対象が何であるかは過去に現在に未来に違っても、ね。
例えば神について信じてたとしよう。 いや、違う例のほうがいいか。 輪廻転生。 人は生まれ変わるという考え方。
これ自体の考えを否定するとかじゃないよ。
これを信じる人は死ぬことに対する恐怖と、 生き続けることに対する恐怖 どちらを感じるのだろう?
そんなことです。
その行いを善として教え込まれ、それによって極楽浄土にいける。 そう信じていた人々。 この場合、信仰とかそういうものだったけど。
所によって形は違えど、根本的な部分は変わらないのではないかな? そして、善とする行いを伝えるものも、また人なんだよね。
下手なこと言うと神に対する冒涜、ととらえられないあたりが怖いが。
人によっては死ぬことよりも怖いこと、 生きるよりもすばらしいことがあるんじゃないかなっと。 そういう人間を止めるのは至難のことだろうね。
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