想
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2003年05月25日(日) |
昨日の夜のこと/仏教からネットまで |
午後10時頃、某駅構内でのこと。 初老の掃除夫が、黙って頭上を見つめていた。 青い制服の男はモップを手にしたまま、ぴくりとも動かず、じっと何かを見ている。 気になって目線をたどると、そこには1枚の看板があった。 「シルバー人材派遣センター」 ・・・大変だな、と、想った。単純に。 働くということは。生きていくということは。 哲学的なことじゃない。感傷でもない。 老いた1人の男が、真剣に自分の人生について考えている。 これからの人生について。生きていくということは、そういうことだ。
彼が、もうしばらくの間、頑張っていけますように。
****** 僕も、もう少し、頑張っていけますように。
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仏教のことを学んでいると(もちろんこれは仏教だけじゃなくて、宗教全般に共通することなのかもしれないけど)、誰の言葉・どの考えに焦点を当てればその宗教に触れたことになるのか、だんだん、というよりどんどん、わからなくなってくる。宗教「学」初心者(入門者?)にとっては、本当に判断が難しい。もちろん、ただひとつの正解を見つける必要はないのかもしれないし、それを見つけた瞬間に、本当の宗教者ということになってしまうのかもしれない。 たくさんの宗教者が、異口同音に「これが正しい」と言う。その「これ」の内容が、みんな違う。日本の学校教育の中ではまず考えられないことだ・・・。しかも、今調べているのは仏教だから、これでも少ない方のはず。原始仏教というのは、教えを道具として扱うのが基本(のよう)だし、悟ったならその教えさえ捨ててもかまわない、むしろ必要がなくなったのなら捨てるべきだという考えを含んでいるからだ。だから、その意味で自分にとって仏教はやや手をつけやすい宗教なのであって、もし他の宗教に取り組んでいたら、とっくにこの作業を放り出していたかもしれない。
ところで、仏教についていろいろ調べ始めてから実感していることがある。それは、インターネットは時には本当に便利だけど、時には本当に危険だ、ということ。このことが感じられるから、自分では(多少翻弄されながらも)気軽に使っているけど、まだ若い人たちにあんまり勧めたいメディアではない。 ただ、本ならいいかというと、どうやらそうでもないらしい、ということもわかってきた。ここで、当然の問題だよね、じゃぁ何で勉強すればいいんだ・・・というのが。信頼性のある情報を選び取るということと、その方法。これまでももちろんそうだったはずだけど、やっぱり今まで以上に真面目に考えていく必要がある。もう子どもじゃない僕らが。
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