想
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2001年11月13日(火) |
文明の利器の最たるもの/言葉という獲物 |
我が家にも出た。 そっと捲ると赤くなる可愛い奴、 炬燵。
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また逃げられてしまった。また、逃してしまった。
言葉を捉まえたいと思ったら、心の隅々まで目の細かい網を張り巡らしておかなければならない。蜘蛛の巣を形作る1本1本の糸のように繊細で、何者も逃すまいとする執拗な神経のように敏感な、しなやかで鍛え抜かれた糸。誰の目にも触れない、最上の策。 掛かった獲物がたとえ自身を傷つけるような代物でも、決して緩むことのない、強靭な網。もがく犠牲者の首に回された殺人者の力強い10本の指のように、たったひとつの完璧な道具・・・。 もちろんこれは単なる喩えだ。肝心なのは、生け捕りにすること。 生きた言葉を殺しちゃいけない。
最終的に、響かない言葉は欲しくない。 死んでしまった言葉は、どこにあっても暴れられない。
厚かましいくらいのは歓迎するが、気の利かないヤツはお断りだ。
響かない言葉は要らない。 自分を動かせない言葉は、他人も動かせない(…だろう)。 少なくとも、そんなモノで誰かを動かしちゃいけない(…と、思う)。 最低限の、ルール(…くらい、守れたらいいのに)。
日々暮らしていく中で、無数のコトバを生み出していくのが、ある種、僕らの習性なわけだ。ヒトは、何故か底なしにことばを作り出していく。ゼロから無限の言葉を紡いでゆく。そんな能力を持っている。(個人的には、これはすごく幸運なことだと思っている。) それなのに、だ。次々と出てくる言葉は底をつかないというのに、ヒトが生きられる歳月は決まっている。ひとりの人間が言葉をあやつれる時間は、ごく限られたものでしかない。これじゃ、もどかしくもなるわけだ。
・・・で。そうやって生み出されてくる言葉が(失礼な話「バカみたいに」)多い中、時折、本当に時折、まぁ86400秒の間に1度か、ツイてる日なら2・3度くらいの割合で、「なんだか響いた気がする」言葉が例の網に引っ掛かる。ちょっと大きなサーチエンジンで、自分の苗字や名前を検索にかけたくらいの引っ掛かり方。 そいつを、ほんのちょっと吟味する。 ここから先には幾つかの工程が存在する。 クズを捨てる。 ゴロゴロしたものはつるつるにする。たまには、すべすべしたものをザラザラにする。 (キモチワルい言葉は佳くし、クセのない言葉は‘曲者’にする。) まるで昔の‘農民’と‘お上’のようだが、搾れるものを搾り尽くし、絞れるものを絞り込む。 搾った滓は、脇へ押し遣る。本当はそのカスも蓄積されて肥やしになっている。 捏ねる。叩きつけたり捻ったり。声に代えたり、セリフ調にしたり。 ・・・・・・。 全部がこんな長い過程を辿って出てくるわけではない。ズバッと出て終わり、「響いた!」ということもある。 こんな過程で、やっぱりどんどん違うものになっていってしまったりもする。 そういう時は、できるだけ元の何もない状態に戻すか、それができなければそこでおさらば。 ここまでやってもぴちぴちキトキトしている「響く」言葉は、しばらく美味しいし何度も楽しめる。
さて。 せっかく捉まえた言葉も、練り上げた言葉も、そうおとなしく留まっていてはくれない。
網がほつれるとき。 ひとたび掴んだと思った言葉も、言葉の溢れる頭の中ではあっという間に紛れてはぐれて跡形もなく消えてしまうから、すぐに籠に収めなければならない。がんじがらめにしておきたいところだが、息苦しくしては駄目で、散歩くらいは自由にできる環境でなければならない。そんな言葉使いのために、ぴったりの技がある。
「文字」。
言葉のための首輪。重過ぎず、かといって弱過ぎない、文字というツールを使う。言葉を意のままにするための手綱。逃がさない。一期一会なんて、昔の人はうまいこと言ったものだ。 あるいは、急速冷凍というかフリーズドライというか、その類のものだと言ってもいい。極力、鮮度を落とさずに済む方法。好きなときに還元して楽しむことができる。 コツは、現れた言葉は直ちにその場で変換すること。そうでなければ、この魔法の効力も薄れてしまう。
こうして、響き渡る言葉を残してゆけたらと思いつつ。
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うほ。長い〜〜〜。 ・・・疲れた・・・。
ということで。 後悔先に立たず。 後悔先立たず。笑。
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