英語通訳の極道 Contents|<< Prev|Next >>
川端康成 著 「加代がね、帰る二三日前だったかな。わたしが散歩に出る時、下駄をはこうとして、水虫かなと言うとね、加代が、おずれでございますね、と言ったもんだから、いいことを言うと、わたしはえらく感心したんだよ。その前の散歩の時の鼻緒ずれだがね、鼻緒ずれのずれに敬語のおをつけて、おずれと言った。気がきいて聞こえて、感心したんだよ。ところが、今気がついてみると、緒ずれと言ったんだね。敬語のおじゃなくて、鼻緒のおなんだね。なにも感心することはありゃしない。加代のアクセントが変なんだ。アクセントにだまされたんだ。今ふっとそれに気がついた。」と信吾は話して、 「敬語のほうのおずれを言ってみてくれないか。」 「おずれ」 「緒ずれのほうは?」 「おずれ」 「そう。やっぱりわたしの考えているのが正しい。加代のアクセントが間違っている。」 (太字はコラムニストによる) この文章を英訳するにあたっては、二つの点で苦労する。 第一に、「おずれ」という単語には、二つの同音異義語の解釈が可能だということ。どちらも擦り傷を意味するが、敬語「お」がついた「おずれ」と、鼻緒を意味する「緒ずれ」の二通り。 第二に、敬語の「お」が持つ響きをどう表現するか。 ここで、サイデンステッカー氏の英訳を見てみよう。 The Sound of the Mountain Translated by Edward G. Seidensticker (太字はコラムニストによる) サイデンステッカー訳では、「おずれ」と「緒ずれ」を“footsore”と“boot sore”という二つの単語で韻を踏ませ、上手く表現している。 しかし、敬語の「お」が醸し出す古風で上品な言葉選びのセンスは、どこにも見当たらない。これでは何故信吾が感心したのか、加代の気がきいていると思ったのか、まったく理解できない。こういう微妙な味わいこそ、川端康成の真骨頂だと思うのだが、さすがにここまで英訳に盛り込むのは至難の業なのだろう。 また細かいことだが、「水虫」を“ringworm”と訳している。“Ringworm”は、足にできる水虫というより「田虫」「白癬」を指すので、言葉から受けるイメージが微妙に違う。 さらに、あまりケチをつける気はないが、“boot sore”(ブーツによる靴擦れ)から連想するイメージは、下駄の鼻緒による擦り傷とは多少ずれているのでは。 ちなみに、サイデンステッカー氏は、信吾が(靴ではなく)下駄を履いていたという事実には、まったく触れていない。多分、“foot”と“boot”で原文の韻を伝えるとまず決め、それに則って、下駄という事実を削除し、表現が難しい敬語の部分を省略したのだろう。 さて、サイデンステッカー氏の名訳について、畏れ多くもいくつかの指摘をしたわけだが、
Taro Who?
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