828 ニッキ



2004年01月14日(水) 命日

大学の時の仲間の命日。
彼は大学を卒業したあと1年ほどで、交通事故で亡くなりました。
すごい夢あふれる、尊敬すべき人でした。
会社からの帰宅途中、原付と車で事故を起こし、その相手と共に、
酔っ払い運転の車のひき逃げによって命を奪われました。
ひき逃げの犯人は捕まりましたが、そいつが酔ってひき逃げなどをしなければ
彼は勿論、その最初の事故の相手も助かったかもしれません。
最初は単なる接触事故だったわけですから。

交通事故で大切な人を失うということはある意味、とても酷だと思います。
最初は、その人が亡くなったという事実に対しての実感が無いのです。
なんだか、まだ生きているような気がして。。。
ただね、時がたつにつれ、その人の仕草とか声とか思い出せない自分がいるんです。
私という人間がとても薄情に思えてきます。
そうして、若いうちに亡くなった友を持つということは、
どんどん自分だけが歳をとってゆくことです。
大学時代の私たちは本当に、なんだかわからないけれど自信や夢や
いろんなものを持っていて、自分で振り返ってもすごかったと思います。
そんな中を共に駆け抜けた仲間なんです。
それからそれぞれ社会に出て、それでも1年くらいは「若さ」と呼ばれる
不思議な力を持っていたような気がします。
彼の時間はそこで止まっています。
私は、それからたくさんの汚いことも、嫌なことも、哀しいことも、楽しいことも
経験してきました。それ相応に人生という時間を経てきました。
だから、その時のまま止まってしまった彼のことを思い出すと
無性に辛い気持ちになります。
同じく机を並べていた、同級生の男の子が転職したり、結婚したり、子供が生まれたり
そういう折に触れて、彼のことを思い出します。

私は彼が亡くなった翌年、彼の宛名で年賀状を出しました。
ご両親から「とても嬉しかったですよ。お付き合い頂いてありがとう。」と
お返事を頂きました。
その翌年からは彼のご両親宛てに年賀状や、折に触れてのご挨拶を送っています。
ご両親もいつも変わらず、お返事を下さいます。
ただ、私はこのまま年賀状を送り続けてよいものかと思うのです。
いつか、ご両親の中で仲間だった私たちが歳をとってゆくことが
辛く哀しい想いになってゆくのではないのか。。。
「忘れずにいること」を伝えることが本当によいのか。。。
年賀状を送ることは私の単なる自己満足で「忘れていませんよ」という
パフォーマンスになってしまいはしないかと思います。

彼を失った今日になるとやはり、「あの日」のことが思い出されます。
不思議とあの日は冷静で、私は訃報を聞いた瞬間からの出来事を全て
昨日のことのように覚えています。
大切な人を思いがけないことで失った人はたくさんいると思います。
交通事故死のような、身勝手な行動でやりきれない死を迎えたむこうには
たくさんの私のような人間がいることを忘れないでください。


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みっきー
ひとことお願いしまふ。


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