リュカの日記

2009年07月18日(土)

午前0時前に目が醒めた。
昨日その存在を知ってから、「なるたる」という漫画の事が気になって気になってしょうがない。
「どういう内容なんだろう」と、ずっと空想状態に陥り続けてしまってる。
現在午前1時25分。

なんかもう、生きる事に嫌気が射した。
俺がこんなに鬱々とした人間なのも、原因を辿ればその大半はこの性癖のせいだと思う。
俺にとっては、そういう子が陰惨な目に遭わされる、という事実が何より精神的にきつくなる。
俺にとっては、そういう事をするような人間が現実にこの世に存在しているんだ、というその事実一つで、自分の人生の希望みたいなもの全てが崩れてしまうような気持ちになるし。
酷い話を聞いたり浮かべたりする度に、どうしようもないようなやりきれない気持ちになってたまらなくなる。
そういう子には何の当たり障りもないような平和な生活を送ってもらえないと我慢出来ない、みたいな意識が強い。
でもその反面、俺はそういう悲惨で陰惨な話や出来事に何より萌えるようになっていて。
というか、タイプの子が酷い目に遭わされる、悲惨な目に遭わされる、みたいな事でもなければほぼ興奮らしい興奮みたいなものは感じない。
それで、昔と比べたら何倍もソフトなものになったとはいえ、毎日毎日陰鬱で悲惨な妄想に浸り続ける。
でも、そういう出来事が存在している、という事は俺にとっては本当にきつくて。
耐えられない事を想像する、欝になる、興奮するからまたまた想像、きつくなる、またまた想像、きつくなる。
悪循環。
だから、俺の心はいつもいつもドロドロ鬱々し続けている。
現実逃れか、そうしたネガティヴな苦痛に苛まれないためか、たまに心が昆虫のようになってしまう事があると思う。
どんなに酷い話を聞いても、苦痛を訴えられても、ただ「言葉を聞き流しているだけ」みたいな感じになって、心の中じゃ何の衝撃も受け止めない、みたいな。薄っぺらくなってしまう。
でも、たまにまたこうした想像、欝、想像、欝みたいな悪循環が蘇り、何だかとてもしんどくなった。
結局俺の人生に希望は無い。
ただ、寿命が来るのを苦しみながら待ち続けるだけ。
何で生きているんだろう。
自殺に対する後ろめたさをふりきる気力、恐怖を克服するだけの勇気、それと行動力や積極性みたいなものが人と比べて極端に欠けてるんだろうな。
自分の人生には何の意味も価値も希望も無い。
十何年も前からそれは悟っているのだが、結局ズルズル生きてしまう。
体が弱い子とかに、寿命を手渡し出来たらいいんだけどな。
現在午前6時22分。

現在午後19時33分。
少しだけ昼寝を挟んだ。
この前面接を受けたか店から合否の連絡が来る事になっていたのだが、結局何の連絡もしてこない。
落とされた、という事だろうな。
廃棄物がもらえない店だったので、むしろその方が気が楽だけど。

少しだけ自分の性格というか、そういうものについて考えていた。
俺はそういう子がそういう目に遭わされる、という事に関して精神的な苦痛と興奮を同時に感じるようになっている。
しかし、メッセの子やらその他の子やら、それが自分のよく知っている子、よく話す子だったりするとそうでもない。
自分の中に残っているわずかばかりの良心が、自分のよく知っている子の苦しみに喜びを見出さないように防いでいるのかもしれない。
もちろん、全く興奮しない、という訳ではないけど、知らない子に関する話に比べれば多分50分の1にも満たないと思う。たとえ、それがどれだけ可愛いと言われているような子であったとしても、だ。
でも、興奮が無い代わりに苦痛も薄い。
多分、良心云々だけじゃなく、自分の中のタイプの男の子に対する価値観も大きな原因を占めているのだと思う。
俺にとってそういう子の存在は絶対だった。
本当に、話しかける事すら出来ないような遠い存在。
事実、俺がリアルで好きになった子に、俺は今まで殆ど話かける事も出来ないでいた。リアルなだけに、多分負い目、引け目をより強く感じている部分があったんだろうな。
だから、俺にとってのそういう子というのは、絶対に自分が親しくなる事はおろか、関わり合いになる事もなく、顔見知りになるかどうかも怪しいもので、言葉さえも交わせないような対象だった。
そんな感じのとても遠い存在に感じられたし、また遠い存在ではならない存在。
そういうイメージが強かった事もあり、
言い方悪いが、自分が親しい子、または自分を慕ってくれる子、に対して刺激を殆ど感じない。
感想として「可愛いな」とは思っても、感動として刺激を受ける事が殆ど無いのだ。
自分にとって羨望する存在だからこそ魅力を感じる訳であり、そういう子が逆に俺の事を慕ってくれるというのは、自分の中では「何か違うな」という感覚になってしまっていると思う。
だから、俺が主に興奮したり、また強いショックで苦しくなるのは、直接的に知ってる子ではなく、その子の知り合いの知り合いの話を聞かされた時だったり、または自分と間接的にすら設定を持たない子に関する悲劇を聞かされた時が主だと思う。
逆に、元々俺が羨望している子が居るとして、ある日を境に逆にその子が俺を慕ってきたり懐いてくれるようになったとしたら、俺はその子にそうした魅力を感じる事が無くなるのかな、とも思う。理屈で言えばそうだから。
なんか、
自分という人間は、とことんそういった恋愛とか幸せみたいなものに無縁、というか感じる事が不可能な要素で成り立っているんだな、と思う。
でも、そうあるべきだし、そうでなくちゃならないんだろうな、とも思う。
自分がよく知る子の不幸、に喜びを見出すなんてあまりに鬼畜過ぎるから。
でも、そういう萌えが麻痺してる分、身近な子の感じる苦痛に対してとても鈍感にもなってしまう。
こういう性癖を持っている以上、身近な子に関して喜びを感じるなんてあっちゃいけない。でも苦痛を感じないのは不謹慎。
俺にとって、身近な子というのは自分に苦痛を与えるだけの存在でなくてはならないのだろう。
でも、刺激が薄いという事は、苦痛もショックも鈍感で。
ある意味都合がいいかもしれない。
しょっちゅう関わる子から常に苦痛を感じ続ける、なんて事になってたら、さすがに話を聞いてあげる事も出来なくなるし。
自分に死ぬ程の刺激、ショック、魅力、苦痛を感じさせるのは、自分とは一切、それこそ魂の縁すらないような子だけ。そうでなくてはならないだろうし(というか、本来それすらあっちゃいけない)、事実俺はそうなっている。
つくづく俺の人生には意味が無い。
ただ自殺する勇気が無いだけ。
とっくの昔から結論出ている。


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