リュカの日記

2006年09月03日(日)

ある不良と呼ばれる奴が居る。
そいつはやばい、と言われている。
俺は、どこかでそいつの噂を耳にする。
そいつによって、美少年が睾丸の皮を切り裂かれて、その中身を摘出されて、片方の睾丸を高速道路に撒き散らされた、という話を耳にした。
俺は戦慄した。
何度も何度も車に轢かれて、血を撒き散らしてグチャグチャのペッタンコになってしまった美少年の睾丸、を想像した。
俺にとって、美少年というのは人間じゃない。
何より神々しい存在だ。
その存在が、そんな下賤で汚い奴によって、下賤で汚い奴のために・・
そんな感じの夢を見た。
また、別の場面で俺は田舎に帰っていたのだが、そこには俺の知らない、血の繋がらない俺の従兄弟とやらが居た。
しかし、俺はその顔に見覚えがあった。
「お前メガビの奴やろ」と質問すると、相手はそれにうなづいてくる。
メガビじゃ殆ど絡んだ事が無い固定だったが、どうやら俺の従兄弟だったらしい。
今日は午前3時過ぎに目が覚めた。

今では否定するしかなくなってしまったけど、俺は景色を眺める事が好きだった。
夜明け前や夕暮れ前の風景は、ノストラジックな気持ちにさせられたり壮大なものを感じさせられたり。
欲情を除けて考えるなら、俺が恋愛について求めていたものとは、壮大な風景だったり、タイプの男の子の存在だったり、そういった自分じゃとても推し量れないようなものや存在を、共有して眺めたり感じたり考えたりしてくれるような相手だったような気がする。
意識の共有、魂の共有。
それはそれで夢みたいな事だったんだけどな。
それを望む事も、また喜ぶ事も、今ではとても不謹慎に感じられて「よし」と出来なくなってしまった。

引きこもっていた時期、よく放浪する事を勧められた。
また、海外青年協力隊、とか。
そんな感じの、ブラつく系の事を勧められる事が多かった。
パソコンを始めるんじゃなく、全国放浪にでも乗り出していた方が良かったかもしれないな。
それなら、何も知らずに済んでいた。
まだ、気持ち的にも色々な事を感じるがままに感じられる、子供でいられたような気がする。
でも、それならタイプの少年に対する、自分の欲だけが主体な極端なまでの自己中心性が払拭される事もなかったんだよな。

あの子が俺の前に現れて、
そして、あの事実を俺に語ってもう3年か・・・

映画「予言」を観た。
面白くなかったし、怖くもなかった。
その後、メガビで名無しと煽り合いをして時間が無駄に流れていった。
昨日からPerlの本を読み始めたのだが、難しくてだんだん行き詰ってきた。
ビデオを返却しに行った。
「N.Y.式ハッピーセラピー」と「き・れ・い?」をレンタルしてきた。
現在午後18時26分。
とても眠くてしょうがない。
そろそろ横になろうかな。

好きになった相手を心置きなく大事にする事が出来たなら、どれだけ幸せな事だろう、と思う。
でも、俺はそれにさえ強い抵抗意識を感じてしまう。
例えば、誰ともなく一人漠然とタイプの少年を思い浮かべる。
その子を大事に思おう、と妄想しようとしても、それを「よし」とは出来ないのだ。
どういう理屈なのか、ハッキリ自分でも掴めてないが。
とてつもない抵抗感を感じてしまう。
それは「嫌だ」とか「駄目だ」といった類の感覚だ。
タイプの男の子がそういう目に遭わされる、という現実が強く関係している事は絶対確かだ。


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