リュカの日記

2006年01月30日(月)

内容はまあまあだった。
悪くはないけど、特に心にクルようなものも無く。
せっかくDVDで借りたのだから、と未公開シーンやメイキングも観る事にした。
池田敏春という監督が、この映画について色々語る。
この監督の語り口調を観ていて、だんだん胸糞が悪くなる。
どれだけ自己演出の強いジジイなんだ、と。偉そうに。
「俺は〜だから。別に〜なんて思ってないし」「俺、役者にどういう表情をしろなんて指図した事も一回もないから」
こういう自然体を気取った態度が一般的にもウケが良く、「そりゃそうだ!」と同調されたりするんだろうけど、俺的にはそういった態度も凄く不快だ。
酒屋などで自分語りを始めるジジイのイメージそのまんまだな。
周りからの同調を求め(それでいて、本人は求めていない風を装う)、自分をどういう人間に見せようかという事に、凝り固まっているような印象を受け、虫唾が走った。

以前は、欲望だけでなく、そういう子の精神をも求めていた。
むしろ、タイプの少年による精神的なものにこそ救いを求めた。
今は、あまりそうではない。
俺は、そういう少年の精神を日常的に感じている。
普段から関わっているメッセの子の精神や、思い浮かべるあの子が持ってた精神など。
「そういう目に遭わされた上での精神」だ。
だから、俺はその子の精神を否定している。
決して、良いものとして受け取りはしない。
その子の精神、気持ちに対して、感じるものを薄れさせてる。
でも、心の底ではこうも思う。
「メッセの子にしろ、あの子にしろ、そういう目に遭わされていなかったとしても、精神的にはそう大差ないのかもしれない」
そういう目に遭わされた上での精神と、そういう目に遭わされる事が無かった上での精神が、そう違いの無いものだったとしたら。
俺は、そういう目に遭わされた上でのあの子達の気持ちを軽視するよう勤めてきた。
その、軽視して来たものと大して違いの無いものを、どうして渇望出来るだろう。そういう目に遭わされた上でのその子達の気持ちが、すでに自分の中で薄っぺらいものにしか感じられなくなっているのに。
だから、そういう目に遭わされていなかった上での少年の気持ちも、神聖視、絶対視する事が出来なくなった。
もう、ドロドロした気持ちのままで生きていくしか無さそうだ・・

こんなところにいくら吐き出して見たところで、結局救いは得られない。
自分にとって、心底認める人種も消えて、誰に相談したところで軽くもならない。逆に余計なストレスを溜め込むだけになってしまう。

布団の中でボーっとしてると、どんどんどんどん苦しくなった。
なので、とりあえず心に渦巻いて離れなくなっている事を、日記に吐き出そうと試みた。
まとめてる最中、何度も何度も邪魔された。
マウスに手を伸ばした瞬間親父による咳払い。3度はそれが続いただろう。
表現違いを正そうとしたところで、母親がドアを開けてやってくる。
本当、凄いな。関心するわ。
と、吐き出してる最中、今度は外の通行人が「ウッフーンッ!!」と気色の悪いくしゃみを上げた。
結局、どこが表現違いだったのかも分からなくなってしまった。
リアルタイムで感じてないと直せない。

今日は午後15時半過ぎに目が醒めた。
1時限目から4時限目まで期末試験だったのに、寝過ごしてしまった・・・

寝起きからまた、気持ちが締め付けられるような落ち着かない状態に陥る。
少年の事が浮かんだり、試験も受けれずレポートにも全く手をつけていない事が不安になったり。

起き上がる事も嫌になって、布団の中でボーっとしていた。
何一つ認められないような状況。
嫌さ加減が渦巻いている。
何に対して嫌なのか、は漠然とし過ぎていて、よく分からなくなっている。
状況が許せないから、その状況が存在し得る世の中に平然と居座り続けている自分自身も、またどこかで許せない気持ちがあったり。
結局、自分自身による自己否定なんてたかが知れてるんだけど。
自分自身が納得いかないからと、自分で自分の指なり耳なり目なり鼻なりを、欠損させるような事もしないし。
何一つ認められずに、納得出来ない気持ち悪さを味わい続ける。
心の中がグジュグジュだ。

「ブレイド3」を観た。
落ち着かない映画だったと思う。
そういえば、この「ブレイド」の1を初めて観たのはいつ頃だっただろう。
俺が通っていた通信制高校では、「学校が指定した映画のうちのどれか一つを劇場に観に行き、その感想を書いてくる」という、とても優しい授業があった。
多分、その時に俺は「ブレイド」を選んだのだと思う。
大学に入学した後、「もう、高校の頃のようなあんな優しい授業は無いだろうな」と、感じた事があった気がする。
卒業したくない。


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