エタカを切り上げて、MALICEの着うた探しを開始した。 着メロ=着うただと思っていたので、着うたというものの存在を始めて知った。色々と好きな曲が出てくる。
MALICE MIZERは2度ボーカルが変わっていて、そのうちのGacktとKlahaのコーナーを作る事にした。 とりあえず、曲数の少ないKlaha Sideだけ完成。 その後、ギャオで「インシデント」というホラー映画を観始めた。 昨日の「パラノイド2004」よりはマシそうだ。 何だか、昨日から心が軽い。 不謹慎で薄っぺらな軽はずみ状態、とも言えるけど。 現在午前4時6分。少し眠くなってきた。 ほんとにかなり軽はずみだ。
これだけ色々なものに反発する気持ちが残っているのも、まだ心の方が大人になりきっていないみたいな感じなのだろうか。 めんどくさい、どうでもいい、と軽はずみに受け流すのが大人だと言う。 強く心にクルような、全てのものを遮断して。 不謹慎なれ、という事か。 そんな意識が良いものであるはずがない。 でも、自分の意思とは裏腹に、俺自身も今そういう風になりつつあるのだと思う。どんどん実感できなくなっていってしまう。 人間の精神構造上、歳を取っていく事で誰でもそうやって軽はずみになっていくようになっているのか。 そうなりたくない、なる訳に行かないという抵抗感情で毎日毎日モヤモヤしている。 精神がそうなっていった人間たちは、それを「良いもの」とする意識、風潮を押し広める。不謹慎である自分自身の肯定だ。 さらに、それを受け入れない人間に対し「そんな意識の持ち方じゃ、社会ではやっていけない」と批判する。 不謹慎で軽はずみな自分自身を肯定するため、それを失っていない人間を「悪いもの」とし疎むのだ。そういう意識を持つ人間に共通する、身勝手で卑怯な価値観としか言いようが無い。 また、それらの価値観は大衆的なものとして支持されているのが現状だ。 腐ってるよな。
今でも、不謹慎で軽はずみな奴らにとって都合の良い価値意識「大人的ものの考え方」に染まりたくないと思っている。染まらないに越した事は無い、とも。 そういう風潮を盾にして、最低な少年搾取を肯定する自分自身を弁護するような下衆で腐った中年親父もいたっけな。 それらを肯定する事について「お前のような感情的なバカと違い、自分は無機質な対応に徹している」などと、全く関連性の無いものを結びつけ、自分自身を社会においての模範的人間に見せかけようという逃げに走り、その無機質さに反発するような意見は聞き入れられる価値のない黙殺されるべきものだという雰囲気を作り出し、それを見抜かれていないと思い込んでる頭の悪い下衆で腐った中年親父。 こういった卑怯で下衆なショタコン野郎はご都合主義で遠まわし的な言い訳を好む。そして、こういう奴らは共通して、それがまかり通るものと思い込んでいるらしい。今まで指摘される事が無かったのか。 指摘されたらされたでヒステリーだろ。おめでてーな。 何がどう欺瞞なのか、を指摘する事が「大人気ない事」とされる腐った社会。まさにこういう下衆共を増長させるにうってつけだな。最低な事に。 まあ、自分がショタコンじゃなかったとしても、大人になりたくないという意識は強かったと思う。大人になるという事に、子供の頃からある種の恐怖感を持っていた。 漫画やドラマ、映画などのメディアを通して感じるものも、社会に出てからの人生には空虚さや疲れが漂っている。何も希望の持てない暗いものとしての描写が多い。社会に出たら、もう何も残っていないのだ、と。 〜の頃に戻りたい、〜の頃に戻りたいと振り返りながら過ごす事が多く、昔からあまり「今現在」というものを楽しむ事が出来なかった。 あと少しもしたら「大学時代に戻りたい」となるだろう事も明らかだ。 過去しか見ようとしないのも、自分自身の性格か。 外見的にも、大人というのは臭くて汚いというイメージしか持たなかった。 それは今現在でも同じだが。 俺も、今はもう見た目もオッサンみたいに感じられて、自分自身を気色悪く感じてしまう事も増えてきた。 シワが出てきてヒゲが濃くなり、身体的にも今じゃ人ニ、三倍くらい毛深いもんな。ほんとにオッサンみたいで気色悪い。 あと何年かしたら、うちの親父と同じで頭の禿げた熊男みたいになるのかな。 どっちにしろ、そうでなくてもタイプの子には釣り合えないから、と開き直れている部分もあるのだが。そういう子に手は出さないから関係ない、みたいな。 欲求過多、ヘビースモーカー、欝、遺伝、とそういうオッサン化を促進するような条件も多かったのか。 俺も、17くらいまでは見た目よりも若く見られる事が多かったんだけどな。 可愛い可愛い言われまくったりしたのだが。 同級生の男や女、バイト先の女子クルー、保護観察のオッサン、高校の生活指導の教師etcetc.. 16くらいで年下の中学生たちに年下だと思われカツアゲされたり、タバコを吸ってて補導してきた警察官に「こまい顔して小学生だと思った」とか言われたり。 当時から心の中心をタイプの少年が占めていて、「何言ってんだか、どうせ俺なんてまがいものだろ」という皮肉った自嘲意識が強かったのだが、今思えばもっと慈しんでても良かったな。自分ではそう感じる事はなかったが、周囲からしてそういう存在に近かった時期もあったんだな、と。 もっとも、そういう子と同じくらいに小柄で全体的に成長が遅い、じゃないとタイプの子には釣り合えないけど。 自分はピーターパン症候群も強いのかもしれない。 24歳以上になるのは想像出来ない。 24歳という年齢は、子供の頃から「ギリギリ若い」と認識していた年齢だ。 その頃は身体的な変化などを何も知らなかった頃なので良い年齢に思えてたけど、今24歳と浮かべてみても汚いオッサン直前年齢、みたいな印象を受けるのでそれほど若くは感じない。 俺が特別汚らしいから、というのもあるのかな。 ピーターパン症候群的な昔からのそういう意識と、ショタコンとしての美醜感覚で、本当ますます歳を取るのが嫌になる・・・ 22歳が終わるまで、もう1ヶ月も無いんだな・・ 22歳も一生に1年間しかない時期なんだ。 ちょっとしたら、今の年齢が若く感じたりするんだろうな。 少しため息が出る。
19頃までは12歳という年齢に一番惹かれたけど、今は響き的にも15歳という年齢に一番惹かれる。16も17も若いけど。 今日は本当、心が軽くはずみっぱなしだ。 こんな程度で良いのだろうか。 何も知らなければ、これくらいが普通で良いのだろうけど。 そうじゃないし。
「インシデント」を観終わった。 結構ギャグっぽい映画だったと思う。面白かった。 現在午前11時21分。 一度眠ろうとしたのだが、結局ズルズルと起き続けてしまった。 少ししたら今日は寝よう。
午後19時前に目が覚めた。 メッセの子が浮かんできた。 ベッドの中で横になり、何でこんなにまでも大事に出来なく、想えなくなっていってしまうんだろう、と少し歯がゆい気持ちに浸っていた。 昔は、あんなに心底優しく接する事が出来たのに。 今はもう、中身が無くてスカスカみたいな接し方をしてしまう事が殆どだ。 いつ頃までは、慈しみを持って接する事が出来てただろう。 俺はあの子を受け入れたくなかった。 そういう目に合わされている、というショックも強くて。 そして、メッセの子に対しては「そういう目に合わされる前から知ってたから」と考えようとしてたけど、やっぱりメッセの子もあの子と同じ目に合わされた同じような条件だから、と感じるようになっていった。 あの子の事で、そういう目に合わされてるなら〜という価値観が完全に固まり、メッセの子にも思い入れられなくなってしまった。 寂しい気持ちになってくる・・ なのに、それでも思い入れが持てないのは変わらなくて・・・
少し締め付けられるような、悲しい気持ちが強くなる。 でも、ただそれだけだ。 結局、思い入れを持って大事にする事なんてもう出来ない・・
その子と直に接している時は、全然そんな風に感じなくて、惰性だけで「ダルい」と捉えてしまうけど。 一人になって考えていると、そうやって大事に出来ない悔しさや寂しさや申し訳なさが募っていって傷みたいに感じる。 そして、また接してる時は同じ風に惰性で流して。 学習しない。学習するつもりも無いのかもしれない。 毎回毎回、その繰り返しだ。
その子と話をする時も、適当な無難な事しか言えなくなった。 その子に対する、気持ちの入った自分の言葉、というものも持てなくなってしまった感じだ。
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