リュカの日記

2005年10月17日(月)

自分の無神経さ、不謹慎さ、鈍感さに対して強い恥の感覚が離れない。
冷静で居すぎている。
もしもその子本人の意思があったり、また縁起でもないけどもしもの事があった時、多分俺の方でその子について話す事になるのだと思う。
その時、家族に対し今までにその子の身に降りかかってきたような事を、どういう順を追って話していけば、と組み立てる感じで考えていた。
心底から楽しく話し合う事が出来ていた頃があって、今はそうなれなくなった。楽しく話し合う事が出来ていた時期から、今現在も変わらず関わり続けている。その子の存在は俺の日常から消えてない。
「せっかく」
という気持ちだ。
それなのに、せっかくその子との関わりが続いているのに、俺はもうその子を嬉しく感じる事が出来ないでいる。
関わり続ける、という状況は変わってないのに。
無駄にしてるみたいに感じる・・
楽しくできたのは最初の1年くらいか。
申し訳なくなる。

今日の午後に、メッセの子の2度目の手術がある。
こういう場合、身近な人間は祈ったりする事が多いんだろうな。
俺の場合、相手の無事を願っても、ことごとく相手は酷い目に合っている。
まだ男の子に対する気持ちがとても強くて、メッセの子が酷い目に合う可能性が見える度、肝を冷やして何度も「無事でいてくれ無事でいてくれ無事でいてくれ」と強く心の中で繰り返していた。
心臓がバクバクいって、胃が痛み動悸が治まらなくて、ただひたすらに心の中で念じていた。
結果、いつも想定できる以上の最悪のパターンに陥っている。
そんな事が何度もあった。死ぬほど苦しかったのを覚えている。
自分にとってあって欲しくない事は絶対起きる。
もう、そういうジンクスなんだと感じられるほどに。
確率としては、俺がそういう風に願った場合の3分の2以上はそういう目に合っている。
いつからか、その子が酷い目に合いそうな瀬戸際でも、「無事でいてくれ」と願う事を辞めた。願って良いとも思えなくなった。
現実的に考えたら「アホな事を」「ただの思い込み」となるのだろうけど、実際いつもそうだったのだ。
気持ちが薄れて、願う事を辞めてからは、割かし無事で居てくれる確率は高くなったように感じる。0ではないけど。
手遅れみたいな感覚で、無事で居てくれる事が絶対的な喜びだ、とならなくなってからは。実際心底強く願う事が出来なくなった、とも言えそうだけど。
半々くらいか。
こんな事を書いていると、何だか気持ちが薄れてしまった事に対する正当化にも見えてしまって嫌になるけど。
多分、今日の午後も心の中心からはその子の事を外すと思う。
でも、もう生命の危険は無くなったそうなので、どちらにしろ大丈夫か。
なんて割り切れるようになってしまった事が、またどうしようもなく酷く感じる。
本当に自分は不謹慎人間なんだな、と嫌気がさす。

今日の授業は1から4だけど、目が覚めたのは12時過ぎだった。

午後から学校に行ってきた。
4時限目だけ出席した。
キューブリックの「バリー・リンドン」という映画を途中から放映していた。前回の続きらしいのだが、俺は前回この授業に出ていない。
美術の授業とか言いながら、何故だか英文とかそんな事ばかりやっているので苦手なのだ。授業の名前だけ美術で、たまに映画を放映する以外は殆ど英語の授業と変わりない。
授業が終わり、図書館で「トロイ」の続きを観た。
また、閉館時間で最後まで観る事は出来なかった。
学校に居る間、自分の人生のどうしようもなさなどを嘆いているような感じだった。救いの無さ、救いの無い上で世の中を認め生きていかなければならないのか、色々と薄れてる、以前の自分はそうでなかった事を知った上で薄れていく事に対するこの気持ち。色々な事を浮かべていた。
ずっとそんな事ばかり浮かべていて、頭痛がしてもう考えるのが嫌になった。それもまた薄いんだけど。
何もかもが薄々で嫌々だ。
この何もかも納得できない状況で、それでいてその納得できなささえも薄れてしまって、それも含めて納得できずにその上で生き続ける。
納得できない物事は、かつての自分にとっての最大だ。
その他のどうでもいいような事とは全然違う。
それが納得できずにさらに薄れてって事は、もう自分の人生全てが淡白で嫌々で納得できず、という事だ。
何も認められずに薄れて生きていくのに嫌気がさす。
その上で生きてる自分自身さえ否定の対象になるのだし。

何も認められない人生なんて希望は無い。
あった以上は何を認める事も我慢できない。
それを、よりにもよって被害に合わされた子の口から「まだまだこれから、大丈夫」「認めてもいいんじゃない」なんて言われるともう最悪に近い。
呆然と廃人みたいに、全部が崩れ去っていく様を傍観しているような気持ちになる。どうしろっての?という感じで。
麻痺したままで戻せずに、それに流され生きていけ、と。
死んでも従わない。
でも、どんなにそれに抵抗し、以前のように想えるようになろうとしても、そうなれない事は変わらない。
結局それに流され生きてるような状態だ。
こういう気持ちをどういう言葉で表せるだろう。
屈辱とも悔しさとも少し違うような気がする。
その上全部閉ざされていて。

心が死んでる。
でも、以前の心の在り方に反して不謹慎になりつつある事への抵抗もあるので、死にかけている、といった方が適切なのか。
抵抗はあっても、感じるものは薄いのだけれど。
歯がゆい、という感じなのかな。それも正確じゃない気がするが。
もうずっと2年以上こんな状態が続いている。
一生こんな状態なのかな。
そして、死ぬ間際あたりになって、価値観に反し納得さえも出来てないのに、その場の一時的な感情だけで「よし」と認めてしまったり。
よく映画や漫画などで、人が死ぬ寸前に浮かべる心理描写でよくこういう感じのがあるけど。
本当なら絶対納得できないような事なのに、そんな一時的な気分だけで「ふふ」っと微笑みながら逝くんだろ。
そんな風になるなんて絶対にごめんだ。
何よりあって欲しくなかった事、そんな事がある以上はもう絶望以外に何も無いのだと感じていたほどの事、あった以上は死んでも何も認めない。
無駄に歳だけ取っていく。

メッセの子の代理から連絡が来た。
手術が終わった事と、明日か明後日には自分でメールが打てるようになる事を伝えられた。

しばらくして、家族が病院から帰った後でメッセの子本人からメールが来た。落ちた原因は自分でも分からない、覚えてないと言う。
ショタコン親父に悪戯された事で相当精神を患ってしまったんだと思う。
転落する以前からも、俺とメッセで話している最中にも、幻聴に怯えてパニック状態になる事も多くて。
本当に、全部そういう奴らのせいだ。
もっとも、その子を陵辱したジジイがその子が飛び降りた事を知ったとしても、どう自分が逃れるかに必死になるだけなんだろうけどな。
ショタコンなんてそういう下劣で腐ったゴミばっかだし、実際そいつも含めて俺が関わってきたショタコン共は自分を正当化する事に必死な屑ばかりだ。俺が直接関わらず、見聞きしただけのショタコン共も話を聞いた印象じゃ全部そうだ。
その癖、自分が少年に手を出す事を自分自身に許してるような下衆野郎の癖に偉そうに俺を批判したりするんだろ。それもこれも、自分自身の下劣さを露呈されんとするために。こんな腐った人種他に居ない。
何だか、そういう奴らの最低さに対しても諦め意識が出始めている・・
嫌だな。


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