無事に演奏会を開けるのか? と今回ほど不安だったことはない。 9日前に、東北で未曾有の大地震があった。 地震があった直後のTVの映像では、 震度のわりに被害が少ないように見えたのだが、 その後訪れた津波の映像を見て、恐れた。 翌日、町や市が津波に呑まれて消えている映像を見た。 そんな市町村もあれば、瓦礫に埋もれた市町村もあり、 その瓦礫で大火事のところもある。 屋根の上に車が載ったり、町の中に船があったり、 超現実的な映像も見た。 どれだけの死者がいるかも計り知れない。。
被災地にいた誰も、あの2時46分の何秒か前まで、 何もそんなことは知らないし、予想していなかったのだ。 あれは、突然やって来るのだ。。
先週の土曜日と、日曜日の1日練習の間、 こうしてみんなで練習できることのありがたさをつくづく思った。 かの地の吹奏楽部の生徒たちは活動どころじゃなくなっただろうし ひょっとしたら、きょう演奏会の吹奏楽団があったかもしれない。 我々だって、このあたりに地震があればそれどころじゃなくなる。
長野でも地震があり、さらには富士宮で地震があった。 ニュースの解説では東海地震とは別の構造だと言うけれど、 素人は、連鎖的にいつ地震が起きてもおかしくないと思う。。
そんな不安な気分の中で、ふと思った。 今まで、普通の生活ができて、練習日にはみんなが集まって、 定演には本当に全員が集まって、音楽を楽しんで、、、 それがあたりまえで、 それができないのは異常事態だと思っていたけれど、 実は、それが続くと言うのが奇跡じゃないかと。
その一方で、こんな時に浮かれたように 演奏会など開いてもいいのだろうか? という疑問も生じる。 けれども、これはその都度すぐに打ち消した。 全国的に塞ぎ込んでいてもしょうがない。 被災を幸い免れた我々は、それなりに懸命に生きればいい。 団長は私よりもうんとまじめだから、 悩んだ末に募金箱まで用意して来るだろうと想像してたら 本当に募金箱が用意され、挨拶でもその胸の内を語っていた。
地震が起こらなくても、毎年の心配は、 皆、病気もせずに定演に一人残らず集まるだろうか? だ。 私の知ってる限り、インフルエンザ明けがひとり、 当日のリハの時間まで風邪で寝込んでいた者がひとり、 仕事の都合で年間4回しか練習に出られなかった者も含め、 すべて、何とか、定演に集まることができた。
また、地震が起こらなくても、番狂わせはあるものだ。 今回は、打楽器奏者の3人が、仕事の都合で、 練習に出るのが困難になったり、休団したり。。。 2月以降の練習は、薄氷を踏むような緊張感で仕上げた。 本番を迎えるまで、演奏の全容がわからなかったなんて、 こんな年が今まであっただろうか?
そして、、、
演奏中、うっっっ、と青ざめるようなトラブルもなく、 譜面台倒しもなく、指揮棒飛ばしもなく(持つのをやめた)、 指揮台から落下しかけることもなく、 本当に、危なげなく、演奏会を終えることができた。
うーーん、、、奇跡だ。。。
今回の定演は、こういう意味で格別感慨深かった。 こうして活動を続けられることに、深く感謝しなければ。。
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