Author : yuzu |
記録しておこう | |
ふと過去の日記を見直していて、肝心なことを日記に書いてなかったことに気付く。 その時はあえて書かなかったのかもしれないけれど、今、記録しておきたい気分なので。 3月に祖母と叔父の合同での一周忌を済ませました。 お寺で親戚が集まって、本堂では間隔を空けて椅子が並べられていて 読経だけで即解散。 お寺の方ではお茶を用意して下さっていたけれど、親戚の皆さんが遠慮されました。 コロナの影響、あちこちで感じていました。 もしこのウイルスの流行が今年でなく昨年だったら、私達は二人を看取れなかったかもしれない。 もしくはコロナに感染して亡くなったかもしれない。 そう思うと今年で良かったとも思ったりする。 どなたかにとっては今年も重要な年で、こんなことになって何もかも台無しになった人もおられるでしょうが。 そしてその翌週には友達の出産祝いに行きました。 その友達が来ていいって言ってくれたから行ったけど、怖かった。本当に。 赤ちゃんと出産直後のママにもし万が一のことがあったら責任取れないと思いまして。 幸いなことに無事に何事もなく日々は過ぎました。 そうか、この二つのこと、 記録してなかったのは、もし後から何か重大なことになったら怖い、と思ってあえて書かなかったんだ。 そうだった。 無事に何事も無かったと言えるようになった今、記録するというのは間違ってなかったのですね。 天祢涼さんの『葬式組曲』という小説を読みました。 この世界では、あえて葬式をしないことが定着していて、 しかしそんな中でも葬式をあげる人達がいて、 彼らはなぜ葬式をあげるのか、その意味に迫る作品でもあるのかも。 こんな曖昧な表現なのは、この捉え方が正しいのか分からないからです。 読み始めて、この設定に気付いた時には、今のコロナ禍に通じるものがあるかなと思いましたが、 あえて葬式をしないことと、できない のとでは全然重みが違う、と 志村けん、岡江さんのことを通して思いました。 | |
2020年05月08日(金) |
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