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| 2003年04月22日(火) |
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親子も恋人も営業と制作もおんなじ |
自分が出かけるとき、
「どこ行くの?誰と?何時に帰る?連絡こまめに、門限守って」
って、親に言われるのは、 当たり前なんだけどやっぱりなんとなく面倒くさい。 毎日まいにち、特に「誰と?」に関してなんて特に、聞かれ続けると
「そんなに信用できないわけ!」
ていういやーな気分になる。 親に、そういう意味じゃない、心配なだけだ って言われようと、 やっぱりすごく嫌だ。
実家を出てひとり暮らしをしている今となっては、 そういうことももうないけど、
そういうこと聞かれる「縛り」がなくなると、 自分の判断に任されてる感があるし、信用を裏切っちゃいかんて思うし、 逆にちゃんとしないと!って思える気がする。
時々は、家に無事に生きてるよ〜って連絡しようと自ら思うとかね。
-- それって、他の人間関係にも当てはまるなあとふと思った。
彼氏だって、
誰と一緒だとか、誰と連絡とってるとか、
心配だって言われつづけたら嫌になってくるのは当たり前のことだよね。
たとえ浮気を疑ってるとか、そういうんじゃなくて 聞く方は単に何の気なしに聞いてるだけであっても、 聞かれる方の気持ちはそう簡単には思えないはず。
ちゃんと、口だけじゃなくて、ほんとの信頼関係があれば、 自分もそれは裏切れないだろうし 言うべきことはちゃんと言うだろうし言えるだろうし。
例えば制作と営業だと、
いつできますか?これで大丈夫かな… ほんとにミスないですか?
みたいなことをいつもいつも営業さんに言われてたら やっぱり、精度も技量も信用ないんだっていう気持ちになってくるし、
君の実力を信じてるから だいじょーぶだよ!
くらいに構えられると、逆に、こりゃーイイモノ作らねば!とか ミスしないようにって努めるとか、やる気になってくるものです。
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「信じる」とか「信じてる」とか、 けっこう簡単に口にしちゃったりするけど
なんだかそういうこと考えたら、 今まで曖昧だった本当の「信頼関係」っていうことの大切さとか、 自分がどう行動すべきかとかが ちょっとわかったような気がする。
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