私は自分が大嫌いでした こんな人間生きてる資格なんてないとずっと思っていました
なぜか 理由は成長過程で「だめだ、お前はだめな人間なんだ、社会にとって必要とされていない人間なんだ。生きてる資格のない人間なんだ」とずっと言われつづけてきたから もう自分に対する自信なんて0どころかマイナスです。 「卑下が強すぎる!」といわれたこともあります 「もっと自信を持て」と何回も言われました でも、気持ちがついていかない 言われたときはそんな気分になって、自分に自信がついたような気がするし 言ってくれた人に対して気を使って「ありがとう、あなたのおかげで自信がつきました」 といわなくてはならない気になってました でも数日後にはまた自分に自信のないことに逆戻り。 また、人から励まされても自分の気持ちが前を向かないことも 余計に落ち込む原因となってました。あれだけ言ってもらっているのに なんで自分はできないんだ→駄目なやつなんだの悪循環
確かに私は出来が悪く成績はボロボロ。受けた試験はことごとく不合格 集中力がなく、人の言ったことを一回で理解できない 運動神経もなく、とろくボーっとしている
しかし、それって「駄目」なのか? 「悪いこと」なのか? 「生きてく資格がない」のか?
・・・全然駄目じゃないよ 確かに何事に対しても努力は必要だ でも、私が生きてること自体は何にも悪いことじゃない 人間は○○だから生きてる資格がないなんてことない ただそこに存在しているだけだ。善いも悪いも資格もない 私は、ここにいる。それだけでいいんだ
このことにやっと気が付きました やっと自分の存在を認めることができました
そして、この先、少しずつでいいから自分を好きになりたい
何でかというと仮に自分のことを好きになってくれた人が現れて 自分は自分のこと嫌いなのにその人のことを好きになれるのか? 答えは「否」である 今までずっと恋愛はうまくいかなかった 自分が自分を嫌いなのに好いてくれる人とうまくいかないのは あたりまえではないか
言い寄ってきてくれた人もいる しかし、私が自分自身のことを認めることができないので その人のこともどうしても信用できないのだ。信じることができない 素直になれない時間が続きやっとその人を受け入れようと思っても 時間がたちすぎて、その人の心は私がその人のほうを向いたときには すでに別のところにいっているのだ
何故、言い寄ってくれる人はいるのにその先うまくいかないのか ずっとずっと考え続けたら、自分を認めることによって簡単に答えが出た
自分からいいな、と思った人もどうもアタックできない 「どうせ自分なんて」という思いが足枷となって実行に移せないのだ べつにその人とうまくいかなくったって、それはそういう相性、縁だったのだから しょうがないのにね。でもそう思えなかったのだ。かたくなに自分嫌いを貫き通していたために
仕事もそう 前にも書いたように努力は必要 でもうまく行かないこと全部「自分のせい」にしていた でもうまくいかないことだってあるし、だから 「自分は生きてく資格がない」なんてそんなこと絶対無い ↑ 前までは本気でそう思ってたけどこれって心の病に近いものがある・・・
なんで気持ちの切り替えができたのか それは本当に些細なきっかけで、 職場の人との飲み会の最中だった 以前手相を見てもらったときに「○○歳で結婚する」といわれ 常々それをネタにしてきた私。 今回も部長に「○○歳で結婚して寿退社する」といったら 「やめなくてもいいのに」といわれ、はっと目から鱗がおちた それだけのことなのに 会社でも私はいてもいなくてもどっちでもいいと思っていたのに 私の存在を認めてくれ、こんな私でもいいんだ、 とストンと憑き物が消えてなくなりました きっかけって何が原因かほんとにわからないですね
でもそれは私が「変わりたい」と努力して常に考えていたから!
しかし、いきなり自分を取り戻してもこの先それを覆す出来事が あるかもしれません。そしたらもっとへこむんだろうな そうなっても揺らがないくらいにゆっくり、着実に 昨日おこった出来事を、自分の変化を、自分に染み込ませていきたい
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