ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

猶予 - 2002年04月02日(火)

自暴自棄になるほど馬鹿げたことはない。もしものことがあったとしても最後まで自分らしく在りたい。覚悟を決めた上で病と闘うしかない。とにかく前向きにやりたいことを思い残すことなきようにやる。そして自我が存在するうちに身の始末をきちんとつけておこう、と考えるようになった。
我にかえった私がまず最初にしたことは生命保険の見直しだった。医療保険と介護保険を大幅に増額し死亡保障を減額して、浮いたお金を好きなことに使うことにした。家族には早晩迷惑をかけてしまうだろう。しかし身の始末と金の始末さえしていれば文句を言われることはないだろう。それに家族とはいえ理解して貰おうなんて無理だし虫が良すぎる。だから大事に備えだけして、病気の詳細については何も話さなかった。

最初にずっと欲しかった新しいチェロを買った。松本在住の製作の先生のところで、たまたま出物があったのだ。正価200万円のところ、木目があまり整っていないということで150万円に割り引いて貰えた。それまで18年間使っていたボロボロの楽器は初心者さんに譲った。やはり手作りの楽器は音が違う。まるで上手くなったかのような錯覚を起こすほどだ。本当に嬉しかった。
これまでは我慢していたコンサートや演劇を積極的に見に行くようになった。観たいものはすべて観ようと決めた。時には莫大な費用がかかってしまうこともあったが気にしなかった。観なかったことを後悔するのだけは嫌だった。
一日一冊平均で買っている小説本を買うことも躊躇しなかった。これまでは高いからと出来る限り我慢していた単行本もどんどん買って貪り読んだ。

そんな時、細胞検査の結果が出たと病院から連絡があった。市川先生は微笑を浮かべて私を待っていた。
「よかったですね。脳に関しては疑いが晴れました」「?」「脳神経に多少の問題はありますが、アルツハイマーの判断はシロでしたよ。よかったよかった」
確かに少しホッとしたが、先生の微妙な表現を聞き逃すような私ではない。脳に関しては、という言葉の意味を尋ねた。先生はやや真顔になって、3枚のレントゲン写真を取り出した。
「この写真を覚えていますか?」うっすらと覚えている。脳のレントゲンと一緒に見た心臓のMRI写真だ。
「確か会社の健康診断でも心電図で再検査になったんでしたね?」「はい」「ここです」
先生の指先は、心臓から出ている太い血管を指しているようだった。
「とりあえず専門の先生の診断書をお渡ししましょう」
ドッグを受けた病院の封筒を渡された。開くと病名のところに「心房細動」と書かれてあった。

市川先生の説明を要約すると、強度の精神安定剤を長期に渡って服用すると心臓への影響が出る割合が患者のうちの1%ほどだという。100人に1人。商店街の福引よりは確率が高いかもしれない(笑)先生はおっしゃった。
「薬の服用を止めれば心臓への負担は若干軽くなります。その代わりパニック発作がひどくなり広場恐怖などを起こし、社会的生活に影響を及ぼすでしょう。ご自分で選択してください」
もちろん薬を飲み続けることを選択した。仕事のない生活なんて考えられない。それに一度覚悟したことは二度目には容易い。念のため先生に確認した。
「要するにいつ心臓の発作が起きるか分からない、という意味ですね」
先生は頷いた。理性を失って生き長らえる代わりに、いつポックリ倒れるか分からないという状況に変わっただけだ。そっちの方が人様にかける迷惑度合いは低いような気もした。既に覚悟は出来ている。寧ろ状況は良化したと考えるべきである。

こうして私はガラスの心臓と隣り合わせの生活を送ることになった。正確には、ガラスの上に毛が生えた心臓、である(爆)。

処方薬:メイラックス・パキシル・デパス・リーゼ

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