さて、セリーグも開幕して我が阪神タイガースも去年に 引き続き好調のようだ。 きゅべが野球に本格的に興味を持ったのは、長嶋茂雄が引退した 1974年。この時からすでに阪神ファンで、スター選手は田淵。 町内の少年野球チームに入ったのは先に兄貴がいた影響かな。 結局、小学校ではずっと5番・キャッチャーで大会準優勝が最高。 このチームは結構スパルタで自転車で来るのは不可、練習中の水分補給も 不可という今では考えられない規則があった。昔はどこもそうか(^^;
そんな厳しさがイヤになったのか、中学1年では卓球部に入った。 しかし、根は野球小僧なので2年になって野球部に途中入部する。 肩の強さを買われてショートを守る。打順は1番とか6番とか。 地区予選決勝まで行ったぐらいで、チームは特に強くなかったなぁ そもそも、このチームは坊主頭なんて2人しかいなかったし みんな割と趣味感覚でやってたのかもしれない。そこが良かったんだけど(笑)
で、高校に行って野球をやったかというと、もうずっと前から高校で 野球をやる気はさらさらなかった(^^; 理由は簡単。体育会系の縦社会がイヤだったし、休日にまで練習して 野球で何かを犠牲にすることをしたくなかったから。
その後、草野球の助っ人等を経て、27歳頃に東村山の草野球チームに 正式に入部する。同僚の入ってるチームで熱心に勧誘してくれたのが理由。 ポジションは主に外野で背番号は3を貰った。 しかし、3は嫌いなので翌年無理を言って4にしてもらう(笑) このチームは強豪でなんと1部リーグのチーム。さすがに1部ともなると お遊び感覚ではなく真剣そのもの。特にうちのチームはエラーなんて しようものならまるで犯罪者のような扱いを受ける。 何人かはそんな雰囲気を嫌っていたし、きゅべも『野球は笑いながら真剣に』 というのがモットー。プロじゃねーんだよ。 そんなわけで3年ほど前に退部しました(^^;
子供の頃はプロ野球選手になりたいって思ってたけど、もう中学の頃は そこまで本気で練習する気もなかったし、なれるなんて思わなくなった(笑) 関係ないけどSSKのCM見てると少年野球の頃を思い出す。
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