2004年07月01日(木) |
「子供」じゃなくて、「人間」を。 |
妊娠すること。 子供を生み、育てるということ。 それは私が想像する以上に大きなことだと、 今は思うしか出来ないけれど。
赤ちゃんは、可愛い。 自分の子供は、尚更だと思う。 あたしの思考は、そこで止まっていた。
だから、誰々が妊娠したとかいう話を、 ネットやら、地元の噂やらで聞いても、 相手とどうするのかなぁとか、 誰々が赤ちゃんを抱っこしてるイメージとか、 どうしようかって悩んでる姿とか、 その程度のイメージしかわかなかったし、 小さな男の子を連れた中学の同級生を見ても、 「親になる」ことの重さなんて、 わかるようでわかっていなかった。
ある日ふと、下校する低学年の小学生を見て、 あの子らには親がいる、と考えたとき、 あぁ、そうなんだ、と今更気づいた気がした。
子供は成長していくんだ。 あの、赤ちゃんの親になるんじゃなくて。 その「子供」、1人の「人間」が成長していく様を見ていくことなんだ。 その人間と一生、時間を過ごしていくんだし、 一生「お母さん」だし。
今まで自分が歩んできた、 小学校とか、中学校とか、高校とか、 友達とか、先生とか、お祖父ちゃんお祖母ちゃんとか、 お父さんとか、お母さんとか、 世間とか、社会とか、世界とか。 そういうものが混在する「この世」というものを、 自分が生んだその子が、歩んでいく。
そうして、友情やら愛情やら、 同情やら劣等感やら優越感やら。 とても多くの感情を、実際に体験して。 いくんだ。
今更。本当に、今更。 「子供」を生むんじゃなくて、「人間」を生むんだと気づいて。 あたしはまだまだ、お母さんになんかなれないと思った。 寺島だって、父親になんかなれない。 だから絶対、間違っちゃいけないと思った。
男の子が生まれたらつける予定、という由来の、 「悠介」というHNを、重く思いました。
それが女の幸せだ、なんて言わないけど。 女にしか、感じられないことだから。 大事にしたいと、思います。
最後まで読んでくださってありがとう。 こんな気分になったのは、今日(7/1)が、 種元駿君の一周忌だからです。 改めて、ご冥福をお祈りいたします。
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