NORI-☆
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きっとわかるはず…
サトシの小学校生活も1ヶ月を過ぎた。 毎日毎日新しい出来事があり、それぞれの展開に備えていろいろと準備したりどう対処しようかと悩んだりしながらカレンダーに追いかけられるように過ごしていたので、「もう」1ヶ月、早かったなぁ…と思う。 反面、小学生という新しい身の上になかなか馴染まない(ように見える)息子をじりじりしながら見守っては、上手くいってないんじゃないかと不安になったりする自分に、「まだ」1ヶ月じゃないの、と言い聞かせもする。 自分の小学校生活のスタートがどんなだったか、まったくといっていいほど記憶がないのだけれど、毎日宿題に付き合ってはそうじゃなくてこう、と直したり、やいやい言ってようやくランドセルの中身を揃えさせたり、ハンカチ・ティッシュ・名札・帽子…と身支度の世話をやいたり、朝通学路の途中まで送っていったり…というのを繰り返していると、「こんなに親の手をわせるもの??」と疑問に思い、我が子の成長・自立について不安になったりする。 また、保育園から同じ小学校に進んだ子が一人もいない、既存の「お友達」のいない環境にどう馴染んでいくか、新しいお友達はちゃんとできたのか、楽しく暮らしているのか… あまり活発でなく、自分の世界を作って楽しむタイプの子なので、にぎやかにふざけあっている男の子たちの中で、どうも一人ポツンとしているような気がしてならない。 連休前に風邪を引いて3日続けて学校を休んでしまってから、朝ぐずぐずして出かけたくないそぶりを見せ、見送る母の手にしがみつき、もっと先までついてきてと言う。 学校は楽しくないのかと本当に心配になってしまい、行き会う小学生を誰彼なくつかまえては「この子と仲良くしてやってね」と頼んで歩きたい、クラスに乗り込んでにぎやかな男の子のグループに「仲間に入れてあげてよ」と売り込みたい、と思ってしまう。 もちろん、そんな風に親がでしゃばったところで、子供たちは引いてしまうだけだろうし、第一本人がそんな風に背中を押し出されても困るだけだから、そんなことは実際にはしないしできもしないけれど、それでも我が子が淋しい思いをしているのでは?と思うといてもたってもいられないのである。 だって、この子は本当にいい子で優しい子なんだから。 ちょっと不器用でおとなしいだけで、ほんとは賢い子なんだから。 友達に囲まれて明るく楽しく笑っているべきじゃないか。 …しかし、そう思うのは大人の、あるいは私個人の勝手な思い込み、あるいは杞憂なのかもしれない。 一人ポツンとしているように見える彼が、友達がいない、淋しい、と思っているかというとそうでもないようなのだ。 「1年1組は31人だから、もう30人も友達がいるんだよ」 「学童のお友達もいるし、一年生になったら友達が急に増えちゃった。100人できるかなっていう歌はホントだね」 などと淡々と言うのである。 大人が思うほど、じゃれあって大騒ぎしているのが友達、という認識ではないらしい。 大勢の友達に囲まれて笑っていてくれれば安心、と思うのは、親にとってわかりやすいというだけのことなのかも知れない。 ポツンとしているように見えるとき、単に彼は自分の世界を楽しんでいるだけなのかもしれないし、好みでないにぎやかさに迎合したくないだけなのかもしれない。 「あなたもそういう感じだったわよ。 誰かの後にくっついて好きじゃない遊びにまぜてもらっても嬉しくないって、けっこう一人で遊んで楽しんでいたじゃない」 と母に言われてみると、確かにそうだったような気もする。 …ただ、私はくっついてまぜてもらう代わりに、自分で仕切るというやり方をとったというだけのことで、自分が他の子に合わせる必要はない、という本質は同じなのかもしれない。 彼は彼なりに楽しんでいる…そう考えると、少し心が軽くなる。 それに、連休明けからちょっとずつ、学校での出来事を話してくれる中に、お友達とのやり取りが再現されるようになってきたことも確かだ。 「図工のあと手を洗うとき、○○ちゃんが前の子に"早くしてよ"って言ってたからサトの順番がきたとき○○ちゃんを先に洗わせてあげたの。 そしたら、○○ちゃん、サトが洗い終わるまで待っててくれたんだよ」 そうかぁ…サトの優しさにちゃんと優しさで返してくれるお友達がいるんだね。 テキパキシャキシャキの声高な自己主張ではない、サトシの静かな優しい個性の表現もちゃんと伝わるんだね。 「□□くんに、バイバイって言ったらバイバイって手を振ってくれたよ。 □□くんのうちはコンビニの手前の角を曲がったところにあるんだよ。 明日もおはようって挨拶するんだ!」 そう…急いで輪の中に首を突っ込まなくても、ゆっくりゆっくり手に触れたタイミングでつかまえればいいんだよね。 いっぱいしゃべってきっちり自己紹介して知り合わなくても、ちょっとしたことで温かい気持ちをやりとりできればいいんだよね。 大人とは、いや私とは、違うやり方、受け止め方で、それでも確かに彼は友達をつくろうとして、そしてゆっくり静かに少しずつ、友達になっていっている。 それでいいんだね。そのくらいのペースが君にとってちょうどいいんだね。 のんびりやのサトシにとって、1ヶ月は「まだ」ほんの1ヶ月であり、その短い中で、学校に行って勉強をして、新しいことを覚えて、30人の友達と出会って…というのは、処理能力の限界に近い情報の洪水だったのかもしれない。 あるいは、とりあえずメモリーに書き込んで、これからじっくり処理していくのかもしれない。 「学校は楽しい?」と聞かれて「うん!」と即答できないのは、楽しくないからじゃなくて、感想を言葉にできるほど消化できてないだけなんだ。 「友達できた?」と聞かれて「うん」と言いながら誰とは言えないのは、ほんとは友達いないんじゃなくて、みんなと友達になってる最中だからなんだ。 身の回りのことも勉強もきっちりこなして、そのうえ友達もたくさん作って毎日楽しくてしょうがないって顔をしていて欲しいなんて、まったくせっかちで欲張りな大人の望みだったのかもね。 1ヶ月のリードタイムを経て、サトシの回路に少しずつアウトプットが出始め、ほっとするとともに、すぐに結果を求めようとしていたことにやっと気付いた。 「ママ、今日は家の前の信号まででいいよ。角で△△ちゃんに会えるから」 思いがけない言葉を今朝の朝食のテーブルで聞いた。 昨日は学校までついてきて〜と言っていたのに! パッと手を離して「いってきます」と駆け出した後姿に、この子にはこの子のやり方とペースがある、という簡単なことを、折に触れて何度も確認してきたことなのにすぐに忘れてしまう自分の愚かさに気付かされ、大いに反省し、我が子を見直した朝である。 この子の良さをわかってやって…! 彼を置き去りにして楽しそうにしているクラスメートたちに言いたかった台詞が一番必要だったのは、実は親である私だったらしい。
2002年05月10日(金)
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