NORI-☆
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5分の3……誕生日前夜
明日、1月9日は私の誕生日である。 いまさら隠すこともないので言うが、実は年女である。 12歳、初めて自分の干支を迎えたときはただ嬉しくて、 ペガサスの青い単色版画の年賀状に 「今年はわたしの年です!」なんて誇らしげに書いていた。 1月生まれなので、新年を迎えることと自分が歳をとることが 自分の中でばっちりリンクしているのである。 二巡目は社会人2年目、いわゆる花の盛りというやつで、 クリスマスケーキだのお肌の曲がり角だのという話は 自分とは全く関係ない話、進む未来は光に満ちて、 「年女の今年は、飛躍の年にしたいと思います」 などと気負った抱負を書いていた。 年賀状は、子馬と子供のほのぼのタッチの多色刷りで、 なかなか好評だったっけ。 三巡目の今年はさすがにそんなこと(年女だなんて)、 聞かれない限り言い出す気もさらさらなく、 年賀状に書く近況のメインは子供のこと。 早生まれでない同級生の大半は昨年が三巡目だったわけだが、 去年の年賀状にも年女コメントを書いていた友達は ほとんどいなかった……あたりまえか(^^;) それでも(人には言わないけれど) 還暦までの干支めぐりも、ここでちょうど半分、 折り返し点まできてしまったのね、と実は感慨深いものがある。 「思えば長いこと生きてきたもんだ…」と言ったら、 還暦過ぎた母に「なーに言ってるんだか。これからよ!」 と笑われ、確かに、これからが大変だという自覚はあるけれど、 でもやっぱり、還暦3/5は大層な遠路だったと思うのであった。 歳をとるということは、 振り返る人生の総量が増えていくということで、 総量が増えていくということは、 その中で過ごしたそれぞれの時間の占める割合が だんだん少なくなっていくということなんだよね。 物理的には。 一昨年だったか、旧姓で仕事をしていた時間より、 今の姓を名乗っている年月が長くなったことに気付き、 もうそんなになるのか、と驚くとともに、 駆け出し社会人で一生懸命がんばっていた旧姓の私が なんだかどこかへ行ってしまったような気がして ちょっと淋しく思ったものだったけれど、 さらにそのうち会社生活だけでなく、人生を通じて、 今の姓で過ごした時間の方が長くなるはずなのだ。 サトシが4歳になったときには、 結婚してから二人でいた時間より 親になってからの方が長くなったんだなぁと しみじみ思ったものだけれど、 そのうち二人でいた3年間なんて消し飛んでしまうほど、 4人家族の歴史が重くなっていくわけである。 もちろん、割合的に小さくなってしまった時間は、 存在が希薄になってしまうというわけではないけれど、 そのときそのときに自分の中で大きなものを占めていたことが だんだん小さくなって一つの点になっていくのは なんとなく淋しいことのように感じる。 もちろん、そうでなければ、何十年という時間の堆積に つぶされてしまうのだろうとは思うけれど。 それにもう一つ、誕生日が子供の頃のように 心浮き立つイベントでなくなってしまった大きな要因がある。 ここまでの人生の約半分を「若い女の子」として過ごした経験が、 「若い」という形容がもたらすさまざまな恩恵から 徐々に遠ざけられていく自分に対して、 非常に面白くないものを感じているというのが、正直なところなのだ。 恐らくこの先もっと人生の総量が増えていけば、 若さの恩恵の替わりに得られるものの大きさがわかるのだろうが、 いかんせん、この価値観が優先する時間が、 ここまでの人生の総量に占める比率が高いのだ。まだ。 そんなわけで、3巡目年代というやつは、特に女性にとって、 きっとけっこう試練の時代なのではないかなと思う。 そういう「フクザツな心境」も時の総量が増えていけば やがて笑っちゃうくらい小さな点になっていくのだろうけど、 とりあえず、今はまだその諸々の思いは点どころではなく、 べったり「面」となって頭上を覆っている感じである。 だけど、そこで弱気になったりいじけたりしては 悩みを点にするだけの推進力も出ないようだから、 明日からは、この折返しを出発点にして、 新しい価値観を育てる日々にしなくちゃね!
2002年01月08日(火)
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