NORI-☆
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プラス思考
私の実家は、私鉄の最寄駅から徒歩15分強のところにある。 独身時代はずっと駅までは自転車で行き来していた。 駅近くの有料駐輪場の年間パスを親が買ってくれていたため 駐輪場所の確保等にエネルギーを使わなくて済んだことも、 自転車通勤(通学)の利便性を増強した一因かもしれないが、 とにかく、当時の自分にとって、「駅まで歩く」というのは まったく問題外、最悪の非常事態だった。 さて、そんな私も家を離れてしまえば 駅までの道のりを自転車に頼るわけにはいかない。 徒歩15分の道のりを歩くわけだが、 これが意外と苦にならない。 たまのことなので、歩きながら懐かしい町の風景を楽しんだり、 空き地がつぶれて家が建ったり、お店が入れ替わったりという 変化を発見して驚いたり面白がったりしているうちに、 1km弱の道のりはあっという間に過ぎていくのだった。 しかし、子供を連れてとなると、やはり1kmの距離は長い! …そこで利用することになるのが、バスである。 駅前から実家近くまで停留所が4つ。 5分程度の短い乗車時間に、210円の運賃はもったいなさすぎ、 と自転車族の頃は思っていたが、 子供連れでそれに付随する大荷物で移動する身には バス便の存在がまったくありがたい。 さらに言えば、子供たちは乗り物が大好きなので、 どんな短い時間でも、乗るものの種類が増えることは大歓迎なのである。 そんなわけで、今日もサトシを連れて実家に行くとき、 バス亭に近い(実家とは逆方向の)改札を出て、 まっすぐ駅前のバス停に向かった。 ところで、このバスは日中約12分間隔で、 3分間隔の電車に乗りなれている身にはかなり待ち時間が長い。 特に私たちが実家を訪問することの多い土曜の午後には 下り路線が渋滞で遅れがちなので、 下手すると30分以上待たされたりすることもある。 駅前商店街を抜けてバス通りに出たところで、 目の前をバスが通り過ぎてしまったときの 虚脱感というか落胆は、事情を知る経験者にしかわかるまい。 30分あれば、サトシと一緒でも歩いて着いている時間である。 しかし「Kバスに乗る!」という気分でバス停まで来ているサトシには 途中で見切りをつけて歩きに切り替える、ということは不可能なのだ。 で、今日。 この落胆を味わわずに済むよう、バス通りに出るまではちょっと急ぐ。 そして通りに沿って20メートルほど先にあるバス停までは、 ちらちらと振り返ってバスの影を確かめながら歩くのが常である。 ところが、今日はこの通りに出て20メートル先のバス亭を見た瞬間、 ママは早くもがっくりきてしまったのだった。 誰も並んでないっ! どの時間帯もかなりの乗客が利用するこのバス停に、 待っている客がまったくいないということは、 直前にバスが行ってしまったことに他ならない。 ということは、このあと次のバスまで、最短で12分、 最長で30分…いや今日も混んでるから40分?50分?? しかも真夏日の午後2時、炎天下である。 「サト〜誰も待ってないよぉ〜(TT)」 急に歩調を緩めながら、ママは悲しい声を出す。 「たった今、バス行っちゃったみたいだね…あ〜あ!」 息子に八つ当たりする筋合いはまったくないのだけれど、 非常に不機嫌な声を出してしまう。 ところがサトシ、そんなママの声とはまったく無関係に、 とっても嬉しそうな声をあげる。 「やったね!ママ、ラッキーじゃんっ!(^^)」 「…ラッキー?どうしてよ〜? (…またママの言うこと聞いてなくて適当に返事してる?(--#))」 「だって、誰も並んでないから、 バスが来たとき一番で乗れるよっ!」 炎天下のアスファルトの上を、ふと爽やかな風が吹きぬけた気分。 そっか…そうだね… ママはばぁばの家に着くことだけを目的にしているから、 バスにすぐ乗れないことが嫌なだけなんだね。 サトにとってはバスに乗ることも一つの目的だから、 待つ時間が気にならないどころか、楽しみのうちなんだね。 待ってる間、今日はどんな型式のバスに乗れるかなとか どの席に座れるかなとか、自分でブザーを押してみようかなとか、 いろいろ考えてわくわくしてるんだね。 時間を気にしていらいらしながら移動することの多いママが、 乗り物博士に教えられることは、ほんとうにたくさんあるのだった。
2001年06月30日(土)
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